SNSで宣伝・広告目的のコンテンツが嫌われる、不快に思われる理由の考察

インターネット
この記事は約5分で読めます。

つい先日、SNS上で「100日後に死ぬワニ」という漫画が最終回を迎えた…が、その直後にメディアミックス化や大量のグッズが販売されるなどの情報が出てくるや否や、失望や裏切り、不快感を示すユーザーの声が噴出した。

もちろん、クリエイターが何か作品を作ってそれをビジネスにすること自体は問題ないとは思うが、えてしてネット上ではお金を匂わす投稿…つまり、宣伝や広告目的のコンテンツは嫌われる傾向が強い。

今回は、そんなネットで宣伝・広告目的のコンテンツが嫌われる、不快に思われる理由について、個人的な考察を語ろうと思う。(あまりまとまらない気もするが…)

 

100日後に死ぬワニの最終回に集まるブーイング

『100日後に死ぬワニ』において、コンテンツとしての注目度が高まりやすい最終回の時期に大規模な宣伝を行うことは、ビジネス戦略としては正しいと思う。

しかし、テーマが「死」というデリケートな内容であるだけに、最終回でワニが死んで間もないのに、怒涛の宣伝ラッシュを繰り返されては、せっかく余韻が台無しになり、がっかりしてしまうファンも少なくないだろう。

ネット上では「葬式の直後に遺産の話をする遺族に出くわした気分だ」という秀逸な例えがあったが、不快感が集まる理由はこの言葉に集約されていると私は見ている。

最終回を迎えたことで、その名残を味わいたいのに、今がチャンスとばかりに宣伝ラッシュをされようものなら気分は台無しである。

 

twitter漫画と広告・宣伝の相性が悪いワケ

クリエイター個人のアカウントで投稿しているtwitter漫画の多くは、クリエイターが自分の意思で投稿しているものであり、PR表記が無い以上、そこにスポンサーや広告代理店の思惑は入っていないと見る人が多い。

つまり、twitter漫画は金儲けとは別の次元であるものだと考えている人が多い。しかし、個人レベルの金儲けのラインを超えない限りは、twitter漫画は受け入れられやすい傾向がある。

そんな特殊な文化を持つtwitterは、言い換えれば大企業の宣伝色が無い、クリエイター独自のセンスや感性、価値観や人間性を知れる唯一の場所である。

しかし、そんなクリエイター個人の人となりを知れる作品や普段の投稿が、実は個人を超えた組織や集団の思惑によって、意図的にウケるように作り出されていたものだとしたら…

つまり

「ファンはこういう投稿が喜ぶだろうし、ウケるような投稿をするようにしよう。あっ、もちろんこのことはバレたら批判が来るから内緒でね。で、いいタイミングどドーンと派手に宣伝しよう!」

という思惑ありきで投稿していた事が濃厚になったら、今までクリエイターの人間性に惹かれて応援してきたファンは「今まで純粋に自分の意思で応援してきたのに、結局は何かを売りたい大きな組織の手のひらの上で踊らされていただけに過ぎなかった」という失望感や裏切られた気持ちを味わうのである。人によっては、「ステマ(ステルスマーケティング)に踊らされていた!」という失望感を抱くケースもあるだろう。

 

もちろん、これはtwitterに限った事ではない。今やフォロワーやチャンネル登録者を集めるために親しみやすいキャラを作っている人は多いが、その親しみやすいキャラが所詮自身の金儲けのための演技であると判明してしまったら、興ざめしてしまう人は多い。

もちろん、最初から金儲けであることを全面に出しているのなら、ファンの失望を防ぐことが容易だが、その場合は多くのファンを獲得できず頓挫するリスクがある。

そのため、最初は親しみやすいキャラとコンテンツを作って人を集めたあとにマネタイズする…という演出方法が一般的だが、それは今回のようにある程度ファンを失望させイメージ悪化が起きることを見越した上で、ビジネスを続けなければならない。

特に広く、浅く、多くのファンを獲得した上で、一気にプロモーションを仕掛けるとなるとそれに比例して、多くの失望の声が集まる事態は防げないであろう。

 

ストーリーをメインに売りたい場合の宣伝・広告の問題点

『100日後に死ぬワニ』は、ワニが死ぬというシンプル且つ明確なストーリーが売りの作品であると見ている。また、このコンテンツをネットユーザーたちが色々考察しあって盛り上がっていく…という、作品を見ているファン同士で紡がれるストーリーも特徴的だ。

しかし、そうしたストーリーはあくまでも作者とファンの間だけで成り立つものであり、そこにストーリーを軽視したスポンサーが、立場に物を言わせてストーリーを捻じ曲げられる行為は嫌われる傾向がある。

もし、そうした意図的に話を捻じ曲げられる存在の手によって、ストーリーが改変されてしまえば、その時点で作品は「大人の事情で配慮がほどこされ歪められた作品」になってしまう。

ストーリーの中に宣伝を含めることはできたとしても、それはスポンサーのいいなりになって作者が折れ、ファンを置き去りにした作品でしかない。当然、そこにはファン&作者ファーストの視点を感じ取るのは難しいし、歪められたからこそストーリーに没入していたファンは離れてしまうのも無理はない。

仮に宣伝がうまくいって知名度が上がったとしても「なかばファンを騙すような売り出し方をした」という評判が付きまといイメージの悪化が起きうるのが、ストーリーをメインに売りたい場合の問題点である。

 

…まぁ、SNSなりyoutubeに投稿されているコンテンツがタダで見れる現状で強く思うのが「タダより怖いものはない」と、いうことだと語って、今回はお開きにさせて頂く。