私が某メンタリストが苦手な理由を語る

メンタル・心理
この記事は約5分で読めます。

まずはじめに、この記事は誹謗や中傷を意図するものではありません…と、お断りさせて頂く。

かつて私は某メンタリスト(Dさんとする)の書籍や動画をよく見ていたが、今とってはすっかりDさんのことが苦手である。嫌いである。もっと言えば、Dさんを盲信している熱狂的なファンには、妙な怖さというか「近づくとえらい目に合いそうな人達」という認識を持つようになった。

今回は、そんなDさん周りで思うことについて、語らせていただこう。

 

某メンタリストが嫌いな理由

優しさにあざとさを感じてしまう

Dさんと言えば、イケメンでいてインテリ。それでいて豊富な知識をわかりやすく、面白く解説するタレント(いまでは人気youtuber)である。

活躍の場はTVからネット、それも直接ファンとの距離感が近いSNSや動画配信サイトを主体とし、ファンとの交流も欠かせない。まさにインテリで優しく(そして高収入)という非の打ち所がないタレントだ。

ただ、私はDさんの見せる優しさに、どこかあざとさというか、計算高さというか「この優しさを鵜呑みにしてしまっていのだろうか?」というモヤモヤを、ある時期から感じるようになった。

確かに親しみやすいし、それでいて勉強になる配信をしている。しかし、その優しさをたどっていくと、まるで優しさを利用してファンを自分に依存させようとしている…そんな、危うさを感じるようになった。

平たく言えば、自身のカリスマ性に物を言わせて、他人を優しく支配しコントロールする。まるで新興宗教の教祖としてDさんは君臨し、ファンはその教祖に使える信者。私は、そんなDさんの信者になって束縛されることに怖さを感じて、Dさんとの距離感を考え直すようになったのだ。

 

「心理学」という権威を借りて他人を小馬鹿にしている

メンタリストという(自称ではあるが)肩書きにもあるように、Dさんの専門分野は心理学である。

しかし、Dさんの心理学の解説動画を見ていると、どうも心理学という学問の権威を盾にして、自分にとって気に入らない存在…例えば、世間体、マスコミ、社会的強者、自分に否定的・懐疑的な視線を向ける人たちを貶めるような言動をしているように感じることが、時間が経つにつれて増えてきた。

Dさんのビジネスモデルとして、ただ純粋に「自分はこの人たちが嫌いです」と素直に言えないし、そんなことをすればDさん自身のイメージ悪化に繋がる。

かと言って、無視を決め込んで黙らずにはいられない性格であるようで、結果として「(自分ではなく)心理学ではこういう言ってますよ」という、なんとも回りくどい方法で仮想敵を間接的に貶めすようになったのだと推察している。

その姿は、インテリというよりは姑息であり、狡猾であり、藤木くんよりも卑怯者。人としての器の小ささを感じるものだった。ちょうどそう思うようになって、私はDさんが放っていたカリスマ性に陰りが出てきたと感じた。

 

論文の扱いと理解が雑で、学問へのリスペクトが感じられない

かつてDさんは「学校の宿題は無意味である」という、いかにもネット民受けしそうなキャッチーな論文を紹介したが、後その論文には誤りや再考の余地があるとして、ネット上で話題になった。

このあたりから、Dさんには論文を含めた学問に対する謙虚な姿勢、リスペクトの姿勢が見られないと感じた。また、仕入れた知識を披露して観客をいい気分にさせることで収益を上げる…というゲイ分おの、ビジネスインテリタレントであると考えるようになった。

先人が時間をかけて調査したことを精査せず、自分の利益のために扱う。また、扱うなかで誤解を招くような表現や、とにかく目立つことばかりを目的とした、胡散臭い広告に見られるセールスライティングを用いて紹介する姿は、およそインテリと呼べるものではなく、きな臭さが際立った。

私にはこの姿が、学問に対する冒涜だと感じて耐えられなかった。

 

不安を煽り他人を扇動する姿勢に妙な胸騒ぎがする

Dさんの動画や文章には、妙に他人の劣等感を煽ったり、ろくに考えもしない人に知識を鵜呑みにさせてしまいそうな要素が目立つ。

口を悪くして言えば、情報商材屋や詐欺師といった嘘をついて人を騙すこと生業としている人たちが使う、品の無い言葉を使う傾向が強く見られた。さらに悪く言えば、大衆を煽るだけ煽って、自分の思い通りに集団(熱狂的なファン)を指導したがる、独裁者のように見えた。まさにインテリが見て呆れる言動といえよう。

私自身、国内外の歴史について興味があり、かつてナチスの時代に大衆扇動を行った結果、ヒトラーという独裁者が誕生。その後、第二次世界対戦がはじまった…という、(まぁまぁ初歩的な)知識を学んでいた。

それ故に、Dさんには独裁者特有のメンタリティというか「この人を信奉すると純粋に危ない」という直感が働き、今では遠くからネットウォッチする程度にとどめている。(といっても、何らかの拍子でtwitter上に発言が流れてきて、なんとも言えない気持ちになることは多々あるが…)

 

某メンタリストの熱狂的なファンを見ていて思うこと

某メンタリストの熱狂的なファンを見ていると、先行きの見えない不安が漂うこんなご時世だからこそ、多少言動が粗暴で穏やかではない雰囲気を持つ、カリスマ的な存在が求められているのではないかと思う。

健康、仕事、精神的な満足感や安心感、承認欲求…など、物質的・精神的な豊かさを誰もが享受できるとは限らない世の中であるし、そんな悲観に満ちた将来を上手に生き残るために考えることもまたストレスだ。

そんなストレスから解放してくれる可能性を秘めているのが、Dさんのようなカリスマ的存在である。

Dさんの言うとおりにすれば、少なくとも今よりは明るく、安心できる未来が待っている。だから自分で考えるのをやめて、Dさんの言うとおりにしよう。Dさんに師事しよう。Dさんと同一の存在になれるよう近づこう…と考えているのだろうか。

 

おそらく、Dさんにハマる人の中には、かつて日本に高学歴の幹部がいたオウム真理教というカルト組織があり、歴史に残る無差別テロを起こした時代を生きていた人は少ないと思う。

そうしたカルト組織の存在を知らずに生まれ育ってきた人だからこそ、どこかカルト地味た雰囲気を持つDさん界隈に対する免疫がはたらかず、のめり込んでしまうのではないか…と、いうことを語って今回はお開きにさせて頂く。