メンタルの弱い人、弱っている人に共感しないほうがいい理由を説明する

メンタル・心理
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これは私の持論だが、メンタルが弱い人、あるいはメンタルが弱っている人や何らかの問題を抱えているに対しては、安易に共感的な態度を示さないほうが無難である…と、考えている。

言い方は悪いがあくまでも人間観察として関わったり、突き放し気味に関わる方が、結果として相手も自分も共倒れせず、お互いに自立して日々を歩めるのではないかと考えている。

…ということを書くと「なんて薄情な人間なんだ」とお叱りの言葉を頂きそうだが、まぁ、それは一意見として尊重するとして、今回は私が何故メンタルの弱い人に共感しない方がいいのかについて、個人的な見解を述べていく。

 

 

メンタルの弱い人に共感すると、こっちもメンタルが弱って不安定になる

身も蓋もないが、メンタルの弱い人に共感するとなれば、こちらもまらメンタルが弱って不安定になる。つまり、精神衛生に問題が生じるからこそ、安易に共感的な態度を取るのはおすすめできないのだ。

実際に目の前に「辛い」「自信が無い」「将来が不安だ」と嘆いている人が板いたとして、つい親切心から親身になってその人に寄り添うことは、まっとうな人の心を持った人間として、至極自然な行為である。

しかし、えてしてメンタルの弱い人は自分で自分のメンタルの調子を整えることが苦手であったり、無意識のうちに弱い立場にいることで他人に優しくされることに味を占めたのか、かまってちゃんのごとく弱ってますよアピールをすることがある。

そういう相手に対して、何度も共感的な態度を示すとなれば、純粋に身も心も持たない。言い方は悪いがメンタルの弱さが伝染してしまいかねないのだ。

もちろん、医療、福祉、教育といった職業としての寄り添いが必要な立場の人でなくとも、普段関わる人間関係において、メンタルの弱い人に対して安易に共感的な態度を示すことは自分の精神衛生を保つためには重要である…と、私は考えている。

 

 

共感的な態度は、結果としてメンタルの弱い人を更に弱くさせてしまう恐れがある

メンタルが弱くて困っている人に対して、たいへん優しく寄り添い共感的な態度を示すことは、一時的には気分が紛れるかもしれないが、結局のところ自分で自分のメンタルを安定させようとする気概や意欲を削いでしまいかねない行為だと、私は考えている。

安易な寄り添いのせいで、本来であれば備わっていたはずの自立心が薄ま、むしろ他人への依存心が強まる。

弱く助けてもらえる存在だからこそ、自分で自分の生活を成り立たせようという心構えが薄れ「自分葉メンタルが弱いのだから遠慮なく人を頼ろう。ネットでも複数の依存先を持つことがあるべき自立の姿と言われているからね」と都合よく言葉を解釈する。(それは自立でも依存でもなく、物乞いとか搾取のそれだと思うのだが…)

結果、以前より葉メンタルの問題がなくなったように見えるが、実際はメンタルの弱さはそのまま残っている。

それに加えて、他人への依存心が強化されるという新たな問題が生じて、ますます生きづらさを増してしまう…ということが起こるのではないかという懸念(考えすぎな気もするけど)があるから、安易に共感しない方がいいと考えているのだ。

ドラマ版ナニワ街金融の主題歌「借金大王」の歌詞の一節を借りて表現するのであれば、共感してたら損をするし、入り浸るし、付け上がる…という事態になってもおかしくないから、人によっては薄情で冷酷とも思われる態度をするように心がけているのだ。

 

 

もし関わるのであれば突き放した上で共感的な態度を取るのが無難

(例え話としてふさわしくないのは承知の上だが)安易に共感しないのがよい理由として、家畜(豚)に名前をつけて大事に育てるけど最後は業者に解体を依頼して食べる…という、学校教育で行われたと言われている話をもとにした作品「ブタがいた教室」が、たいへん参考になると私は考えている。

なお、ほぼ同じネタで言えばマンガ「銀の匙」内で、食肉用の子豚に「豚丼」と名前をつけて育てて、最後に食べる…という話もいい例だ。

 

本当に表現が悪いのは重ねて言うが、メンタルの弱い人も家畜の豚もいわば周囲からの世話が必要な存在であると同時に、関わるとなれば情緒的な付き合いがどうしても生じるものである。

しかし変に情が湧きすぎると、将来的に苦しい思いをするのが予想できてしまう。だからこそ、適度に突き放した上で関わりを持つことが、精神衛生上好ましいのだ。

もちろん、最終的に美味しく頂く家畜と違ってメンタルの弱い人は最終的に快方に向かうというハッピーエンドがあるのだが、そのハッピーエンド…あるいはその先にたどり着くまでに、たいへん辛いことが待ち受けているものである。

自分の精神衛生を損なわないためにも、あえて突き放した上で関わるなり、そもそも共感的な態度を見せずそっとしておくのは、冷淡だが賢明だと私は考えている。

 

 

最後に…まぁ、意地悪な話になるが、あえてメンタルの弱い人に共感的な態度を示し、依存的な関係に陥らせて稼ぐ…という悪辣且つ悪徳で悪質な商売手法も、あるのではないかと思うことが、ここ最近ある。

悪質な自己啓発やスピリチュアル、カウンセラー業とかを見ていると、とくにそう思うことがある。