何かと世知辛く生きづらさを訴える人が多い最近のトレンドだと思うが、メンタルに負担をかけない生活…つまり、ストレスが少なく自分に優しい生活を希望する人が増えているように感じるし、同時にそういったメンタルに優しい情報がおもにネット上でたくさん見かけるようになった。
ただ、私はこういった状況についてあまりいい印相を持てない。
率直に言えば自分で自分を弱い人間として甘やかしたり、責任を背負わせない生活を選ぶことそのものが、結果として自分のだらし無さと言った生活力の低下に拍車をかけたり、経済的な苦しさや人間関係の悪化、付き合う人の層の低下などの問題が増える。そのことが更なる不安になり精神状況を悪化させるのではないか…と考えている。
今回はこのことについて語ろうと思う。
社会での責任を回避するような生き方では、確かな収入も社会的な居場所も遠のくのでは?
ストレスが少ない生き方をするために、例えばネット上では
- 合わない人間関係は切ってもいい。
- 無理に成長を目指さなくてもいい。むしろあなたは今のままでも十分頑張っている。
- 就職して必死に働くことだけが人生の全てでも正解でもない。
- 自分に優しく、もっとゆっくり休んでいい。もっと自分を甘やかしていい。
というような類のメッセージを見つけることだろう。
私からすればこの手の言葉通りに生きていたら、冒頭でも述べたように良い待遇の場所で働いて、育ちのいい人に囲まれて生きることはシンプルに難しくなるのではないかと思う。
もちろん、そこまで裕福さに対する欲望がないにしても、自ら責任を放棄するような生き方をしようものなら、いとも簡単に社会の底辺に滑り落ちるのではないだろうか…と思えてならない。
まぁ底辺に落ちなくとも「ほどほどの生活が手に入ればいい」というのなら、そういう生き方もありだとは思うが、私個人的にはそのほどほどの生活を成り立たせるためには心身の健康が重要であると考えている。
社会的な責任を負わないし、ストレスも収入も待遇も低い生活をする以上、将来の不安が拭えないことから、最初のうちは良くとも時間が経つにつれてほどほどな生活を営めるような精神状態を維持できなくなるのではないかと思う。
貧乏であることをミニマリストと称して美化したが、もとより貧乏であることには変わらず次第に精神的なバランスを崩してしまい煩悩の塊と化すミニマリストのように、(私個人の意見では)ストレスを当然のものとして受け入れて、向上心や責任に対する覚悟を持つ生き方のほうが、結果として自分のメンタルには良いものだとフリーで活動している身としては強く感じている。
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ストレスもないが元気もない状態になるのでは?
今まさ多忙でヘトヘトな人からすれば、ストレスの少ない生活はまさに理想だろう。
しかし、ストレスがない生活が仮に手に入ったからといって、その生活が果たして元気で充実したものになるかどうかについては疑問である。
というのも、私が教育学部の大学生時代にボランティア活動としてフリースクールにて不登校の子達(小中学生)と関わる機会があった。
その時に聞いた話で「嫌な学校生活から解放されたからといって元気いっぱいな子は少数。大抵の子は無気力だったり、不安で何もできなかったりして、元気とは言い難い状態にあることが多い。」というものがあった。
(※だからこそ、フリースクールに来て人と関わる機会を設けることで、子ども達の心身の健康を良いものにする…というのが話の趣旨であった。)
またフリースクールに限らず、「定年退職した方が、仕事から開放されたがとくに何もやることがない生活のせいで、短期間でめっきり老け込んでしまった」という話も、高齢化社会な昨今見聞きすることは一度はあると思う。
こういう話があるからこそ、私はメンタルに優しいと言われるストレスのない生活は、決して元気な生活を保証するものではないと考えている。
「どこまでメンタルを守るのか?」のラインを見定める
もちろん、ストレスを全部受け入れることは現実的ではないし、なるべく排除する方が理想的であろう。しかし、この時に注意したいのがどこまでストレスを排除するのか…のラインの見定めである。
心身の健康にいいからといってあらゆるストレスを徹底的に排除するような生活をしようものなら、冒頭でも述べたように経済的困窮や社会性が育たないなどの問題が出てくる。
また、私みたいに「ストレスを受け入れる」みたいな覚悟ができる人であっても、「どこまでなら受け入れられるのか」というラインを見定めることも重要である。
最後に今の世の中の流れだとは思うが「健康にいいこと=絶対的な善」という考えは、
- 「ストレスを受け入れる」のような考えを無条件に否定
- 「ストレスを排除する」のような考えを無条件に肯定
しがちである。
健康オタクが健康を求めすぎて不健康になってイライラが止まらなくなるように、健康にいいことを絶対視することは決して万能ではない…ということは知っておいて損はないだろう。