傷つきやすい人がなぜ出てきてしまうかについて考えてみた

メンタル・心理
この記事は約5分で読めます。

2018~2019年頃から流行になっている繊細で傷つきやすい気質を指す「HSP」という概念の影響もあってか、ここ最近妙に傷つきやすさを主張する人が増えているように感じる。(※私の観測範囲ではあるが…)

とくに、傷つきやすさを訴える人は男性にも意外と目立ち、そして20~30代の若者によく見られれる。

私自身アラサーのしがない独身男性であり「あなたのせいで傷ついた!」なんて言おうものなら、「気にしすぎ」「それぐらいでダダをこねてもらっちゃ困る」「男なんだから多少のことで弱音を吐くな」と周囲に言われて育った経験もあってか、今のように傷つきを主張する人が目に見えて増えている状況については、妙に興味がある。

今回は主に若者を中心にして、傷つきやすい人が続出してきた理由についての個人的な見解を語ろうと思う。

 

学校や親の教育方針の変化が傷つきへの耐性を下げてしまった

私が思うに、平成以降に生まれた人たちは学校や親の教育方針がかつてのような詰め込み&厳しく指導するやり方ではなく、むしろゆとりのある優しい指導を長年にわたって受けてきた世代である。

もちろん、体罰や校内暴力といった問題が起きなくなったのは良い点だが、一方で学校や家庭で優しくされすぎた結果、意見の衝突や叱られるなど傷つきを感じる経験への耐性が下がってしまった。

結果として、今までなら乗り越えて来れたはずの挫折や衝突に対して「傷ついた!」と簡単に声を上げてしまう人が増えているのではないかと考えている。

もちろん、傷つくような経験をどんどんやれと強引に推し進めることは良しとしないし、今の学校教育や家庭教育においてそうしたアグレッシブな姿勢を導入するのは体罰や虐待と思われてしまうリスクがあるので非現実的だろう。

 

しかし、子供の頃から過剰に傷つき体験を避けて、やれ褒めて育てるだとか、やれ放任主義だとか、やれ個性を尊重するだとかで、現実世界への理不尽や厳しさに対してうまく対応していく術を身につけないままでは、生きづらさは増してしまうのではないかと考えている。

筋肉が成長するためには、妥当な負荷をかけてトレーニングをすることが重要であるのと同時に、子供の頃から適度な競争や比較といったストレスのある環境で育てていく。

もちろん、その中で辛い経験や思い通りにならずに苦労することはあるだろう。しかしその経験が糧になり、結果としてささいなことで「傷ついた」と主張しなくなる。多少のことではへこたれないタフさを養えるのではないかと考えている。

 

ネットで多くの人と交流できる場面が増えた結果、傷つきを感じやすくなった

また、インターネットの発展。それもSNSやyoutubeなど、今まであれば出会えなかった人と出会えるようになったこともまた傷つき体験に強く影響していると考えている。

例えば、今まであればスポーツの世界でも本当に実力のある人はTVの中、新聞や雑誌の中のどこか遠い世界の人であり、憧れこそあるがあまりにも格が違いすぎて嫉妬や羨望の対象にはなりづらかった。

 

しかし、今や個人のSNSアカウントやyoutubeチャンネルにより、プロレベルではないにしてもアマチュア以上の実力や実績を持つスポーツマンの存在が、検索や”おすすめ”として簡単に出てくるようになった。

そして、プロ未満アマチュア以上で活躍していてネット上で注目されているという立ち位置が、傷つき体験のネックであると考えている。

というのも、雲の上の存在であれば嫉妬するにしてもどう嫉妬していいのかわからないので、嫉妬の対象にはなりづらい。しかし、プロ未満アマチュア以上の位置にいる相手だと、自分にも頑張れば手の届きそうな位置であるため嫉妬の対象になりやすい。身近であるがゆえに、その短さが嫉妬の炎を燃え上がらせているのだ。

加えて、嫉妬の対象となっている人がチヤホヤされている様子や私生活が公開されている。ネット全盛時代特有のコミュニケーションが今まさに行われている状況や個人的な情報が外から簡単に見られる状況により、嫉妬心が強まり「傷ついた」という不快感を覚えやすくなってしまっているのではないかと思う。

もちろん、これはスポーツに限らず勉強、芸術、恋愛、友達関係、仕事の人間関係でも同じであろう。今までなら知らなくても良かった情報、知ることすらできなかった情報を知ってしまったがために増えた傷つき体験を訴え出る人が増えているのではないかと推察している。

 

先行き不透明な社会のせいで、傷ついても立ち直れるだけの精神的余裕が持てなくなった

最後に、先行き不透明な今のご時世もまた、傷つきを訴え出る人の増加に影響していると考えている。

というのも、先行きが明るく経済的にも豊かな状況であれば、多少の挫折や衝突があったとしても明るい未来が見えているので弱音を吐くよりもまず「明るい未来のために愚痴や文句を言わずコツコツ努力しよう!」と前向きになれるものだ。

しかし、今はそんな前向きな気持ちになれるほど明るい景気がいい状況とは到底呼べない。また、長引く不況のせいで収入や貯金が減って、それこそ自転車操業のような苦しい生活をしている人もいるだろう。

そんな一寸先は病み&闇な生活をしている人にとっては、ささいな傷つき経験をしても立ち直れるほどの精神的な余裕を持つのは難しい。だから、ささいなことであっても「傷ついた」とすぐに主張してしまうのではないかと思う。

つまり、過剰に傷つきを訴え出る人が出てきている状況は、それだけ精神的な余裕を持ちづらい、先行きが非常に暗い世の中を反映しているのではないかと私は考えている。