傷つきやすい人の自己中心的な思考、心理について解説する

メンタル・心理
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繊細で傷つきやすい人の中には、過剰に自己中心的な考え方や過剰な自己愛な肥大化した自尊心、そして自己評価が実物の自分以上に高いせいで勝手に傷ついてしまう人がいるものだ。

今回はそんな、傷つきやすい人に見られる自己中心的な思考、言動について解説する

 

傷つきやすい人に見られる自己中心的な行動・心理

周囲の人が自分に対して何らかの視線を向けていると感じている

傷つきやすい人には「周囲の人は、みんな自分のことを良くも悪くも注目している」という誤った思い込みをしていることがある。

こうした思い込みが生じるのは

  • 他人からよく見られたい
  • 他人から賞賛されたい、褒められたい
  • 他人から嫉妬されたい、羨ましがられたい

という、自分は凡人には見られないような特筆した才能や魅力がある…という、ナルシシズムな考えをしていることが影響していると思われる。

また

  • 他人はみんな自分を嫌っているに違いない

という、一見するとナルシシズムな考えとは違うような思い込みも、見方を変えれば「周囲の人は悪い意味でも自分に注目をするほどに、自分には特筆した才能や魅力がある」という、ナルシシズムな考えの変化形と解釈できる。

 

周囲との妥協が苦手で「自分の意見を少しでも曲げる=敗北」と考えてしまう

傷つきやすい人は、他人とのささいな意見の食い違いが生じた場面や、自分の意見を抑えて妥協する場面ですらも、自尊心の傷つきを強く感じてしまう。

結果、普通の人なら当たりまえにやれる交渉や話合いの場面であっても「自分のことを認めてくれなかった」とふてくされたり、被害者ぶって相手を悪者扱いするという困った行動を取ることが多い。

どうしてこのような「傷ついた!」と訴える態度に出るかというと、それは「自分の意見を少しでも曲げる=敗北」と考えてしまうからである。

言い換えれば、自分の意見は常に優先されるべきだ、受け入れられるべきだ、という自分が世界の中心にでもなったかのような自己中心的な考えが根底にはあるのだ。

しかし、この世の中は誰かの思うがままに進むほどシンプルなものではないし、他人との関わりの中で生きていく以上は自分の都合を優先するばかりではなく、他人と意見をすりあわせたり、場合によっては自分の意見を取り下げることも必要になる。

そうした社会で生きていく上で当たり前のコミュニケーションですらも、傷つきやすい人は「自分を否定された」と自尊心の傷つきを強く感じてしまう。その結果、繊細チンピラのような繊細すぎて他人を振り回す困った人だと周囲から思われてしまうのだ。

 

周囲の空気を読まず過度に予防線を貼って傷つきを事前に回避したがる

他人に対して自分をチヤホヤしてくれることを期待している。しかし、その期待が他人から拒否されたときに感じる精神的苦痛を強く恐れている。

その結果、傷つきやすい人は過剰に予防線を張った上で、自分の意見を主張したり、他人と交友関係を築こうとする傾向がある。

過剰な予防線を貼るのは、いわば未然に傷つく可能性をできるだけ下げる思惑や、過剰な予防線であってもそれを問題なく受け入れてくれるような都合のいい人だけを探すための戦略であると言っていい。

ただし、過剰な予防線だけに聞く人からすれば「うわ、この人すんごいめんどくさい人だ」と思われて距離を置かれる可能性が高いのは言うまでもない。

しかし、距離を置かれる方が実は傷つきやすい人にとっては好都合である。というのも、過剰な予防線に拒否反応を示す人は、仮に関係を持ったとしてもチヤホヤしてくれる可能性は低い。つまり、傷つきやすい人にとって都合のいい人を篩にかけるために、あえて過剰に予防線を張っているのだ。

 

「他人はみんな自分を見ている」と「他人は自分にさほど興味がない」との間で揺れ動きメンタルが不安定

自己愛が強くて傷つきやすい人は、非常にメンタル面が不安定な傾向が強い。わかりやすくいえば、メンヘラ、病み気質な人である。

メンタルが不安定になる理由として考えられるのは

  • 「他人はみんな自分を見ている」という自分の自尊心を満たしてくれる心地のいい考え方。
  • 「他人は自分にさほど興味がない」というあまり受け入れたくない考え方。

の相反する両方を持ち合わせているからである。

そのため、普段から葛藤しやすく精神的な余裕がない。ささいなことで傷つきやすくて被害者ぶった態度で人を困らせることもあれば、逆に自分の方から他人を傷つける攻撃的な態度をとったりするなど、感情の起伏が激しさを見せることもある。

なお「他人はみんな自分を見ている」も「他人は自分にさほど興味がない」も、どちらも両極端な考えであり。

そのどちらでもない中庸な物の見方ができるようになれば精神的に安定しやすくなるが、そもそも両極端な考えに囚われるぐらいに精神的な余裕がなく、なかなか中庸な物の見方がしづらいのが現状であろう。

 

傷つきやすい人がネットの世界にはまって、ますます自己中心的な考えをこじらせる

ここからは私の持論だが、SNSやyoutubeのようなネットの人間関係は傷つきやすい人がより自己中心的な考えをこじらせてしまう関係だと思う。

SNSなら当たり前のブロックとミュート機能は、自分とは合わない人、考え方や価値観が受け入れられない人を視界から閉め出せる利点がある。YouTubeの場合も動画投稿者が、自分の動画にコメントさせないように特定のアカウントをブロックする機能がある模様だ。

しかし、その機能のせいで自分に対してまっとうな意見をくれる人までも視界から閉め出してしまえば、ますます自己中心的な考えが強まってしまうのは無理はないだろう。

そうしてこじれてしまった考え方や物の見方は必ずしもネットの世界だけのものではなく、リアルの人間関係にも影響は出てくるものだ。

ネット上で散々ブロック&ミュートを繰り返して出来あがった妙に生暖かい人間関係に入り浸ってしまった結果、その関係の外で生きていくことが辛くなってしまう現象が、今後増えてくるのではないかと危惧している。