私の個人的な主観で恐縮だが、昨今の先行きがよくわからない世の中の影響か、どうも「人生頑張らずに生きていく」とか「無駄な努力はせず、最低限の努力で細々生きていく」というような思想を持つ人が目に付くようになったと思う。
それも、10代、20代と体力も気力も有り余っているはずであろう世代の方々の中にも、この手の「頑張りたくない」という考えを臆面もなく表現し、人生に諦観…というか達観してしまっている人が増えていると個人的には感じている。(まるで若者なのに、老い先短い高齢者のような精神状態である。)
今回はこの「頑張りたくない」と思う人の心理について個人的な見解を述べていこうと思う。
なお、この記事はいわゆる精神的にしんどい人に対して優しく寄り添う内容ではない。むしろ、逃げ癖、甘え癖、だらけ癖…などの理由から頑張りたくない、努力したくないと感じている人に焦点を当てて書いているものである。
そのことをご理解していただいた上で読むor読まないを決定していただきたい。
「自分には可能性がある」よりも「自分には可能性が無い」ということに希望や安心を見出しているのでは
若いのに早くも「頑張りたくない」感じるのは、純粋に世の中の変化が激しいだとか、予想できない未来だからこそ努力が無駄になる確率も以前より高い…という要因もあるとは思う。
しかし、私個人的にはこの手の「頑張りたくない」と考えるのは「自分には可能性がある」よりも「自分には可能性が無い」ということに希望や安心を見出しているのではないかと推測している。
人間というのは面白いもので、「あなたの将来には無限の可能性があるから何事も挑戦だ!」という応援は精神的な負担を感じる。むしろ「あなたの将来には可能性なんて無い。だから頑張っても無駄だ」と絶望を突きつけられることに、どこか希望、安堵、安心を覚えてしまうことがある。
とくに、普段の生活の中で
- 「(自分的には)努力しているのに報われない」
- 「(実態はただ何も考えず我慢しているだけなのに)頑張っているのに報われない」
と感じている人ほど、誰かや何かに絶望を突きつけられると「よかった、もうこれ以上頑張らなくてもいいんだね」という安堵に近い感情を覚えてしまう。
こうした経験をしてしまったことにより、気が付けば「人生どうせ辛くてめんどくさいことばかりだし頑張りたくない」と若いのに人生を悟ってしまう若者が出てくるのではないかと思う。
また、他者から絶望を突きつけられるのは、頑張ることを自分の意思でストップすることに引け目や負い目を感じる…というストレスが軽減される。
つまり「○○(大抵ここには権威ある人や組織の名前が入る)が、可能性は無いと言っていたのだ方、から、自分が努力をやめるのは逃げでも甘えでもない!」と自己正当化できるというメリットがあるので、安心して努力を辞めるという選択をしてしまうのだ。
「頑張りたくはないが、かと言って底辺は嫌だ」という気持ちでストレスを抱える
なお頑張るのをやめてしまった人であっても、その人たちが全員晴れ晴れとした気持ちであるとは限らない。
当然ながら学生なら勉強をやめれば成績は停滞or悪化する。社会人なら仕事をサボるようになれば評価は下がる。どちらも日常生活に負の影響が出るのは明らかである。
大抵は「頑張りたくはないがかと言って落ちるとこまで落ちていくのは嫌だ」と言って、悶々とした気持ちを抱えつつストレスを抱えながら暮らしているというのが実情だろう。
頑張ってもストレス、頑張らなくてもストレスという日常にじわじわと精神を蝕まれつつも、かと言ってその状況を改善するための努力はしないし、したとしても続かない…という、もどかしい状態に自らを置いてしまっているのだ。
頑張りたくない人とインターネットの組み合わせは危険
最後に頑張りたくない人でも手軽に(危険な)自己肯定ができてしまうという点では、インターネットの存在は非常に危険であると私は考えている。
ネットで検索をすれば、
- 「低学歴は一生底辺労働で人生詰んでいる」
- 「コミュ障は社会人で失敗する。というかそもそも就職すらできない」
- 「HSPには普通の生活は不可能。普通にしようとすれば精神を病む」
- 「イケメン・美人に生まれなければ人生ハードモード決定」
というたぐいのなんとも人生の絶望を決定付けるかのような極端な情報を簡単に入手可能だ。
この手の絶望のニュアンスが強い情報を見て「そんなわけあるか!」と、元気よくツッコミを入れられる人なら…まぁ、問題はない。
しかし、人生に漠然とした生きづらさや閉塞感を感じているような元気のない人は「あ、やっぱり自分は○○だから、人生に希望はないんだな(これで頑張らなくても済む!)」と、努力や自己改善をすることから逃げる。
そして逃げた自分を肯定するために、「逃げ癖は悪くない」だとか「人生は長い目で見るのが大事だから、頑張らなくてもいい」というたぐいの逃避思考を肯定するような情報ばかりを集めて自己肯定する。
こうして自分で自分の人生を本当に取り返しがつかない状態にしてしまうことが、スマホが当たり前のように普及した昨今、デジタルネイティブと言われている若者世代(いわゆるZ世代)をはじめとして増えているのではないかと思う。