自己啓発本が大好きな人の心理について語る

自己啓発・意識高い系
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大学時代は意識高い系の学生団体に所属(主にビジネスや地域活性化の団体)。卒業後はベンチャーで働き、現在は在宅フリーランスとして働いてきた経験の中で、いわゆる意識だけが突出した「意識高い系」の人と関わることが度々あった。

彼らに共通しているのは、経営者や投資家、各界の著名人やインフルエンサーが出している本を愛読している。つまり、自己啓発本が大好きであるということだ。

今回は、そんな自己啓発が好きな人の心理やメンタル面について、個人的な見解を述べさせていただく。

 

自己啓発本好きな人の心理

今から述べる特徴は、あくまでも私の主観であることをご理解頂きたい。自分で書くのもアレだが、内容はやや毒舌調になっているので、心して読んでいただきたい。

 

強い存在、組織への依存心が強い

自己啓発本が好きな人は、その本を出している人の肩書きが立派であればあるほど、その人が出している本を好んで買う傾向が見られる。同時に、いかにその人の思想や着眼点、ビジネスモデルや生き様が素晴らしいかを他人に説明したがる癖があった。

彼らなりに言えば、自己啓発本は自分自身をアップデート()するとか、新たな知識をインプット()するとか、そういう何らかの成長を実感出来る、自己投資()すべき素晴らしいコンテンツ()であるとのことなのだが、私にはどうもその姿を見て「痛々しい…」という感想を持つばかりであった。

まるで、自己啓発本を出している人に積極的に依存しようとしているように見えて、どこか不気味さを感じることもあった。

言い方は悪いが、マルチ商法やカルト宗教のようにカリスマ性のある人物に対して、強く依存してしまうぐらいにメンタルが不安定。不安定だからこそ、権威ある人や集団から放たれる(多少荒々しいが)、断言口調のメッセージが書かれた自己啓発本に感化され、依存してしまうのだと考えられる。

余談だが、この手の依存心が強い人は、最近はyoutubeに投稿されているビジネス論や自己啓発動画の方にハマる傾向が見られる。

内容を鵜呑みにすれば聞くだけで気分がよくなる、まるで嗜好品のような自己啓発動画にのめりこんでいく様子は、ジャンクフードばかりを食べて心身の健康を損ない堕落していく人を見ているような気がして、複雑な気持ちになる。

 

自己啓発が好きな自分に酔いしれたいナルシスト

自己啓発している自分が好き、自己啓発している自分はそうでない人より秀でている…という類の自己陶酔うぃしたがる人もまた、自己啓発本マニアの人に多かった。

人が見ている前で本を読む。本を読んでいる姿を他人から見られることに、どこか満足感を得ているように見えたが、本の内容が頭に入っているようには全然思えないぐらいに、話の内容は薄いし、洞察も浅いし、聞きかじりのカタカナの単語を口にすることで、自分をよく見せることにこだわっていて、笑いをこらえるのに苦労した。

ただ、厄介なのがこの手の人同士が集まって同調し、自己イメージを肥大化させてしまうことだ。「あなたたち、意識高いワードを使って中身の薄い話をしているだけですよ」と冷静なツッコミをする人は不在。

ツッコミ不在のままお互いにお互いを褒めて持ち上げ、付け上がらせて、勘違いをより強固なものにしていき、ますますおかしな方向に思考や言動をエスカレートさせてしまう光景は、見ているだけでなんとも言えない気持ちになるものだった。

 

同じく自己啓発に興味がある同士との生ぬるい交流を求めている

自己啓発本が好きな人は、自己啓発をしていることにどこか負い目や恥ずかしさを感じていることが見られた。

周囲からよく見られたいと思う反面、周囲から「あぁ、あの人は自己啓発にはまる程度の知性の持ち主なんだ(冷たい目)」と、否定的に見られてしまうことを恐れていた。

その不安を解消するために、同じ自己啓発に興味がある人同士との交流を求めていたり「自己啓発をを馬鹿にする人は、単純に嫉妬しているだけだよね」と、傷の舐め合い地味た交流をしていた。

正直に言えば、しったかの知識や浅い洞察、権威ある人への無批判な盲信をする姿勢に対して、冷ややかな視線を浴びせられているのだと私は感じているが、自己啓発が好きな人たちはどうやら自分を客観的に見ることができず、ただ「他人は自分に嫉妬している」という考えに囚われ、自尊心を肥大化させて調子に乗り続けているばかりであった。

 

楽して賢い人だと見られたい願望がある

誤解を恐れずに言えば、自己啓発本は、すこしの努力で金儲けがしたい、モテたい、承認欲求を満たしたい、社会的地位を手に入れたい、頭が良くなりたいし賢い人だと思われたい…というように、楽をして何かを手に入れたいという、ものぐさな性格の持ち主であるように感じた。

彼らがよく使う、コスパ、効率、合理的、最短で…という言葉は、勉強でも仕事でもすぐに結果(数字)が求められる今の世の中に合致している言葉ではあるが、私のその言葉をよく使う人を見ていくうちに「この人は、自分には他の平凡な人たちとは違って、最短で求められた成果を出せる素晴らしい知恵や方法を知っている優れた人間になりたいんだ!」という類の欲望を感じるフシがあった。

当然ながら、金でも知識でも「楽に何かが手に入る」ということはあまりないものだし、仮に楽に手に入る方法があるのなら迂闊に他人に教えないのが世の常だ。

従って、自己啓発本が好き人は「楽に何かが手に入るという雰囲気や高揚感」を味わうこと中毒状態になっている。また、そうした虚しい雰囲気ばかりを追い求める姿が、周囲の人からの反感や失望、失笑や冷たい視線を誘っているのではないだろうか。

…と、いうことを述べてこの記事はここでお開きにさせて頂く。