「頑張っているのに評価されない」という状況がなぜ起きるのかについて解説する

自己啓発・意識高い系
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おもに仕事の場面がメインだとは思うが「自分はこんなに頑張っているのに、なぜか周囲の人たちは評価してくれない」という状況がどうして起きるのかについて、個人的な見解を述べていこうと思う。

 

消極的な努力は積極的な努力と比較してそもそも評価の対象にならない場合がある

まずはじめに、この記事では努力の内容を消極的努力・積極的努力の二種類に分けて説明していく。

イメージとしては

  • 消極的努力:言われたことをやる、やらされている感が強い努力
  • 積極的努力:言われてないこともやっている、主体的に取り組んでいて自分でやっている感が強い努力

というものとして考えてほしい。

消極的努力は積極的努力と比較すると、どうしても地味で目立ちにくい。

場合によっては当たり前のように皆が消極的な努力をしている状況にいると、ただ消極的努力をしているだけでは「当たり前と言えば当たり前のことをやっているだけなので、それで何か「すごいね」「頑張っているね」というのもなんか変な話だよね…」と感じてしまいやすくなり、評価の対象にならなくなるのだ。

また余談だが、積極的努力をしている人は消極的努力をしている人と比較して「努力している自分を認めて欲しい」という雰囲気を漂わせない。むしろ、興味のあることに主体的に打ち込む事そのものに満足感を見出しているためか「努力している自分を認めて欲しい!」という承認欲求が薄れる。

しかし、薄れていはいるが周囲から見て目立つ努力をしているので評価対象になる…という、本人は求めてはいないが承認が得られる状況になるのも特徴的である。

 

我慢や辛抱のニュアンスが強い努力は「ただじっているだけ」とみなされやすく評価の対象にならない

消極的な努力をしている人の中には「自分はこんなに我慢して耐えているのに認めてくれない」という努力を我慢や辛抱することとして捉えている人が多い。

しかし、このような我慢のニュアンスが強い努力をしていると自覚している人は、周囲から見ると「ただじっとしているだけ」「ぼけーとしているだけ」という印象に映ってしまい、評価の対象から外れてしまうことはなる。

場合によっては、努力しているというよりもむしろ現状に甘んじて努力を放棄している、怠けていると否定的な評価をくだされる要因になることもあるので要注意だ。

 

 

そもそもシビアな世界では「努力も大事だが結果の方がもっと大事」ということを忘れてはいけない

身も蓋もないことだが仕事のようにシビアな世界であれば、どれだけ努力したかよりもどんな結果を出したかの方が重要視される…ということを忘れてしまっている人もまた「努力しているけど評価されない!」という悩みを抱きやすい。

たいていの人はどれだけ努力してきたかよりも、どれだけの結果を出しているかの方に着目するものである。

もし仮に努力に注目して欲しければまずはあっと驚くような結果を出して「えっ、この人ここまでの結果を出すまでにどんな努力をしてきたのか気になる!」と相手が感じるように、ちゃんと結果を出すことを優先したほうが合理的である。

結果を見て努力が気になる…という順序を忘れてはいけないのだ。

 

 

評価してくれない人を恨むような態度とってないですか?

最後に努力が評価されないと嘆いている人の心にたいへん優しくない主張ではあるが、評価をする側の人に対して、妙に敵視するような発言や態度をしてしまっているために、仮にいい働きや結果を出したとしても気持ちよく評価する気になれない状態に陥ってしまっている可能性も忘れてはいけない。

プロアマ問わずスポーツの世界でも審判に嫌われるようなことをした結果、自分に不利な判定を下すような心理状態にさせないようお行儀よく振舞うのが大事であるように、評価する人も感情を持った人間でありロボットやAIでもない以上、普段関わる人に対して自らの好感度を下げるような真似はすべきではないのだ。

「自分のことを敵視している嫌なやつに、いい評価をしてやるもんか!」と思われるようなこと普段の生活のなかでしていないかについて、今一度自分自身の行動を振り返ってみることも重要だと思う。

 

 

最後に

えてして頑張りが評価されないとう悩みを抱えている人は、人間関係の悩みも同じく抱えていそうなものである。

そういう人にとっては厳しい主張になると思うが、自分が所属する集団が良好になるための雰囲気作りにも積極的になるのも地味ながら重要である。

「ちゃんと自分を見て評価してほしい」とお客様気分で受け取ることばかりに夢中になっている人に対して、気持ちよく評価を下そうかという気分になる人はいない…と考えたほうがよいだろう。