最近の世の中の流れもあると思うが「乱暴な行動が目立つ人やハラスメントを振るう人など、自分に危害を加えてくる人、苦手だと感じる人からは速やかに離れるべきだ!」という無責任に優しい意見が、広く浸透していると思う。
しかし、私はどうもこの意見というか人間関係に関する自己啓発なメッセージについて賛同できない気持ちがある。
むしろ、自分をぞんざいに扱う人の方が、結果として(とくに仕事においては)自分の利益となったり、コミュ力や人望を獲得することにも繋がるケースがあるという考えている。
今回はこのことについて個人的な見解を述べていこうと思う。
「ぞんざいに扱っても大丈夫=変に気を使わなくてもいいのでコミュニケーションコストが低い」という視点
仕事において何かを教えるとき、ただマニュアルを読むだけではなく場合によっては口頭での指示やレクチャーを受けることもあるだろう。
この時に
- 「この人は丁寧に扱わなければならない」と思われる人
- 「この人は丁寧に扱わなければならない…というわけではない」と思われる人
の二人がいる場合、コミュニケーションにかかる気苦労は、後者の方が少なくなることがある。つまり、丁寧に扱わなくていい分教える側にかかる精神的負担が軽いという点で得をするのだ。
もちろん、コミュニケーション以外の要素…例えば、基礎的な学力や仕事へのモチベーション、集中力など、総合的に見ていく事はもちろん欠かせない。
しかし、どんな業種・業態であってもコミュニケーションは必須である。とくに、どこかの組織に入って働くとなれば、誰かから何か教えを請う場面は出てくるものである。
その時に、相手に変に気を使わせなくてもいいという安心感がある意味合いとして「この人ならぞんざいに扱っても大丈夫な人だ」と思われること。そして、自分自身も「私は多少ぞんざいに扱われても平気ですし受け止めます」と考えられることは、結果として自分の、そして組織の得となるのだ。
※もちろん、明確なハラスメント行為のように例外的な事例は除くものとする。
明確な実績や能力のある人が皆道徳的に優れているとは限らないからこそ、ぞんざいに扱われる耐性の有無が重要になる
仕事などで能力や実績のある人から何か教えを請うとき、その人が聖人君子で人格者そのものであればラッキーである。
しかし、そんな事は稀なのが世の常である。また、およそ人格者とは言えなかった場合に「苦手な人なのでこの人と関わることはやめます!」と堂々と主張できるほど、仕事において自分の自由が保証されている事は、そうそうないものである。(もちろん、雇われorフリーランス関係なく‥である)
場合によっては、ハラスメントに関する知識が乏しい人、随分お年を召されているためか現代基準で見れば多少荒っぽく刺々しい(ただし渋みもある)言動が染み付いている人と、仕事のために関わることもあることだろう。
このように自分とは価値観や生きてきた時代背景が明らかに違う人の中に、確かに実力や能力があるので学べる部分がある、あるいは自分の能力などを認めてもらえば結果として自分の利益になる…という判断ができたときに限り、自分をぞんざいに扱われることへの耐性があると、物事がうまくいくことがある。
つまり「こいつは多少荒っぽい態度で接しても大丈夫だし、ガンガン教え込んでも問題ない(むしろ、短期間で成長する見込みがある)!と相手に思わせる&自分もそう考えているし多少荒い扱いを受けるのは承知の上である…というような考えができると、こと仕事においては得する結果を生むことがあるのだ。
なおこれは私の実体験になるが、どうもハラスメントに対して意識が高い人(とくにゆとり世代以降)は、能力や実績は確かだがはあるが現代基準では指導が厳しくて時代錯誤な教え方をする人を毛嫌いする傾向がある。
冒頭にも触れたように、実力はあるが厳しい態度を見せる人に対しては「嫌な人からは逃げてもいい論」を持ち出して自分の逃げを正当化することに抵抗が無い。その姿は自分を大事にしすぎた結果、かえって自分を生きづらさの局地へと追い込んでいるようにみえる。
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ぞんざいに扱う人=はっきり叱ってくれるありがたい人
最後に、30代以降で自分を叱ってくれる人が年齢や立場の都合上いなくなってしまった人なら思い当たるフシがあると思うが、自分に対してはっきりと指摘してくれる人というのは、ひじょうに珍しく、またありがたい存在だと感じることがあるだろう。
年齢が年齢だけに「いい年した大人を叱るのはちょっと…」と気が引けてしまう人が多いものである。また、自然と衝突を避けていくことが社会人としてのエチケットだと考える人も多いものである。加えて昨今はハラスメントや誹謗中傷に関して騒がしく、迂闊に叱れば社会的にボコボコにされかねない危うさが日常生活の中に潜んでいるものである。
そんな叱ること含め、対人関係における攻撃的な要素があるコミュニケーションを潔癖なまでに排除しようとする流れがある中、余計なお世話かもしれないがその人のことを思って、あえてわかりやすい丁寧さや優しさを排除してしっかりと叱ってくれる人は、「苦手だから…」という言葉を盾にして逃げるべきではない…というのが私の考えである。
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