他人から理解されないと嘆く人に足りていないものの考察

人間関係・コミュニケーション
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かつて(いわゆる)性格に強い癖がある人達と関わっていた頃の話だが、彼らはよく他人から理解されないことを嘆いていた。

もちろん、他人から理解されないことは辛いことだ。しかし、一方では「他人に理解されるだけの努力が足りていないのでは?」とか「そのねじ曲がった性格を好き好んで理解する人は、なかなか現れないだろうなぁ」という意地悪な気持ちを持つことも多々あった。

今回はそんな経験も踏まえて、他人から理解されない性格の人に足りていないものについて、個人的な見解を述べてみる。

 

「他人から理解されない原因は自分自身にあるのではないか?」という視点が無い

身も蓋もないが、他人から理解されないと嘆く人には「他人から理解されないの原因、相手にあるのではなく自分の方にあるのではないか?」という視点だ。

つまり、他人に理解されるような人間性なり、社交性なり、語彙力なりを持ち合わせていない結果、他人から理解されていない…という、自分の努力不足を疑う視点が足りていないということだ。

…もちろん、こんな辛辣なことは流石に理解されなくて悩んでいる人には言いにくいものだし、もし言ったとすれば相手をひどく傷つける火の玉ストレートな言葉であることは承知している。

しかし、冒頭でも述べたように、他人から理解されないと嘆く人には、どうも他人の視点にたつとか自分自身を俯瞰的に見るというような、自分が置かれた状況を一歩引いた目で見る能力(=メタ認知能力)、および自分が置かれた能力を説明するだけの国語力、基礎学力等に問題があるような気がしてならないことが多々あった。

 

見た目からして他人の理解を遠ざけるようなルックスをしている

ちなみにだが、他人に理解されない人の中には、第一印象があまり芳しく無い人も目立った。つまり、ルックスに問題がある人が傾向として多いということだ。

ただし、ここでいうルックスとは、顔の造形や体の骨格といった、後天的に変えるのが非常に難しいものを指してはいない。

姿勢、髪型、目つきや顔つきといった、比較的短期間で変えられるもの。口臭、体臭、服装のように清潔感に深く関わるものを指している。わかりやすく言えば身だしなみと表現されるものだ。

要するに他人に理解されない人には、基本的な身だしなみに問題がある。

悪い身だしなみのせいで、無意識のうちに他人を遠ざけてしまうからこそ、心理的な距離感が縮まらない。結果、他人から理解されない状況になっているのだ。

こうして説明すれば、他人から理解されない理由が、自分自身にあることがお分かりになるだろう。

 

 

「理解してもらいたい=自分だけが気持ちよくなりたい」では相手が理解を示してくれる確率は下がる

他人から理解してもらいたいと強く願うが、その願いが叶わず悩んでいるという人の中には、どうも「他人から理解される=自分だけが気持ちよくなりたい」と思っているフシがあった。

つまり、自分本位、自己満足、自己中心的な思考が強いために、相手に対して過剰に理解を求めてしまうが、過剰すぎるがゆえに相手の心身に過剰な負荷をかけてしまい、関係が長続きしない。

相手のことを無視して、一方的に自分が気持ちよくなりたいがために理解を求めるような危なっかしくて心理的に「重い」人であるからこそ、その危なっかしさを見抜けるだけの感性を持っている人はスーっと距離をおいてしまう。

これが冒頭で述べた「そのねじ曲がった性格を好き好んで理解する人は、なかなか現れないだろうなぁ」という気持ちの正体であると私は考えている。

 

もちろん、これは理解されたいことばかりに限った事ではない。自分の見栄や体裁のために、やたら交友関係を広げてしまったり、過剰な自己アピールをしてしまうような人も同様だと思う。

人間関係を自己利益や自己満足のために利用するものだと考えてばかりで、他人と折り合うとか、協力とか、助け合うという視点がまるっきり抜けているような人が、安定かつ良質な関係を築くのは至難の業だろう。

 

 

理解してくれない人を敵視すれば、ますます「理解を示したくない人」になる

最後に理解されないと嘆く人には、自分を理解してくれなかった人を妙に敵視したり、蔑視したり、見下したりして自尊心を保つことに躍起になっている人も目立った。

「理解してくれたら味方、理解しなかったら敵」というような両極端な思考の持ち主であるために、迂闊に関わるとトラブルに巻き込まれそうな人とみなされ、自然と交友関係が希薄になるのだろうと思われた。

なお、こういった両極端な考えになるのもまた、自分本位な考えが強く他人の視点に立てない、想像できないことが一因ではないかとと私は考えている。

自分本位な考えが強すぎると、世の中には多様な考えを持つ人の存在を認識できなくなったり、そもそも「なんとなく」程度のさほどよく考えてない人の存在を認識できなくなるからだ。