すぐ病む人がめんどくさいと感じる理由を説明する

メンヘラ
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すぐに「病む」とか「病んだ」とか「○○しないと病んでしまう」「メンタルが落ちる」と口にする人は、はっきり言ってめんどくさがられても無理はないと思う。

いわゆるメンヘラの人に見られる言動だが、今は「病む」という言葉が若者の間で浸透した影響か、ネットの世界に限らず日常生活の中でも見聞きすることが多くなったように感じる。

なんとなく気分が落ち込むこと自体は誰にでもあろうかと思うが、私個人としてはすぐに「病む」と口にする人は、やはりどうしても付き合いづらさを覚えても仕方はないと思う。今回は、その理由について語ろう。

 

すぐ病む人がめんどくさいと感じる理由

自分の機嫌を自分でコントロールできず周囲に丸投げする

すぐ病むと口にする人は、自分で自分の機嫌をコントロールできないし、他人が自分の機嫌を左右するものだと考えているフシがある。つまり、自分のご機嫌取りを他人に丸投げしているので、関わる方からすればすぐ病む人のご機嫌取りに徹しなければいけなくなる。

こうなると、対等なはずの友人関係や恋人関係であっても

  • 主:すぐ病む人
  • 従:すぐ病む人のご機嫌を取る人

という主従関係になる。この関係は対等なものではなく立場差のある関係、つまり上下関係から成り立っていることは、容易に理解できることだろう。

その上すぐ病む人には、自分の方が立場が上で他人を振り回しているという自覚が無い。「あくまでも自分は下の立場、弱い立場だ」と考えながら立場に物を言わせて来るのだから、めんどくさがられるのだ。

 

両極端な思考で関わる人を振り回す

すぐ病む人は気分の変動が激しいor両極端である。その原因となっているのは、そもそもが両極端な物の見方が染み付いているからだと思われる。

例えば

  • 少しでもうまくいかないことがあれば、人生は絶望でお先真っ暗
  • 少しでもうまくいけば人生はバラ色、キラキラとした明るい未来が待っている

というように、極端に悪いor良いという白黒はっきりした思考をするのが癖になっている。

そのため、少しでもうまくいかないことがあれば「すぐ病む」と絶望の最中にいる人のような顔をするが、ちょっと状況が好転すれば「何もおそれる物はない!」と有頂天になる。

あまりの機嫌の変化の激しさは、関わる人からすれば非常に付き合いづらいものだろう。なにせ両極端ではない中間の機嫌がないので、いつ「絶望→有頂天」「有頂天→絶望」へと気分が変わるのか予測ができず常にハラハラしてしまう。なにかの拍子で気分が急転直下しないように、相手のご機嫌取りに細心の注意を払うことで神経をすり減らすのだ。

そういった、気分の乱高下に巻き込まれて疲れるのが嫌だからこそ、すぐ病む人はめんどくさがられるのだ。

 

何かあったら「絶対病む」といってダダをこねる、ゴネる

すぐに病むの中には「病む」事を一種の自分の意見を相手に飲み込ませるための切り札として利用しているケースが見られる。

つまり、「○○してくれなきゃ病む」とダダをこねる、ゴネることによって他人を自分の思い通りに動かそうとする事例が多いのだ

素直に「○○して欲しい」といえば、(要求が飲み込めるかどうかはさておき)関わる方もそこまで不快感を覚えずに済むのだが、「○○しれくなきゃ病む」と半ば脅すかのように要求してくるので、要求の内容どうこうよりも不快感の方が際立つのだ。

 

すぐに被害者ぶって反省を放棄する

また「○○しれくなきゃ病む」という頼み方自体、実に自分勝手で自己中心的で相手の都合を考えていない頼み方である。

妥協や折衷案を提案することすら認めようとしていない、実に自分勝手な頼み方である。泣き脅しならぬ「病み脅し」と言ってもいいだろう。

そんな頼み方で他人を動かそうとしているのに、「自分は誰にも理解されていない」「やっぱり断るんだ」と当の本人は被害者ぶって自分の頼み方の問題を反省しないことが多いために、めんどくさい人と見られやすいのだ。

 

すぐ病むと主張する人は、弱者のフリをしたずる賢い強者である

やや辛辣な物言いになるが、私はすぐに「○○してくれなきゃ病む」とか「病むからやりたくない」と主張する人は、弱者のフリをしたずる賢い強者であると思う。

やりたくないことがあるのなら、普通に「やりたくないです」といえばいいのに、そこに「病むから」とつければ、相手の反論を封じ込めて且つ自分の要求を押し通すことは簡単だろう。

仮に反論してきても「この人は私を病まそうとしてくる加害者である」と被害者ぶれば、相手を精神的に追い込んだり、うまいこと言いくるめた結果自分の要求を飲ませることもできる。

そんな自分の弱者性を武器にして、他人を脅すような言動をする人のことを好意的に見る人は、窮めて少ないと思う。むしろ「うわ、この人めんどくさいなぁ‥」「関わって依存されるのはいやだなぁ」と思われて、次第に周囲から人がいなくなるのも無理はないと思う。

それでも、自分のコミュニケーションの作法により人を困らせたり不快にさせていることに気づかず、同じことを繰り返していれば、ますます生きづらさの迷宮に迷い込み、病みに拍車がかかると私は思う。

お節介かもしれないが、悪いことは言わないから「病むから」が口癖になっている人は、まずはその口癖から直したほうが、自分のためにも周囲のためにもなると強く思う。