「他人に迷惑をかけなければ何をしてもよい」という考えの罠について語る

自己啓発・意識高い系
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抽象的な話で申し訳ないが、意識高い系の学生と関わっていた時に「自分は他人に迷惑さえかけなければ何をやってもいいんだ」という思考を強く支持していた人と多く出くわすことがあった。

なお、ここでいう「迷惑」とは法律に反する明らかな違法行為から、道徳(モラル)や常識、商習慣や民意に反する行為なども含むものとする。

もちろん、法律に反するようなことを推奨するのは人としてNGだが、道徳やモラルのように明文化されていないものなら、まぁ無視しても問題ないとは思う。

しかし、私は「他人に迷惑をかけなければ何をしてもよいという」考えは決して良い結果ばかりをもたらすとは限らないし、何より周囲から危険人物とみなされる可能性が高くなり、自分で自分の窮地に追いやる行為だと考えている。今回はこのテーマについて個人的な見解を述べていこう。

 

「他人に迷惑をかけない限りはOK」は自制心と計画性が無い人が真似してはいけない

たとえば「自分で稼いだ金だから自分の好きなように使うのは自由だ」という考えは、もちろん誰にも迷惑をかけてないし、なんら違法な行為でもないので他者から咎められる筋合いはない。

ただし、これはあくまでもお金を使う本人が自制心や計画性などの能力が備わっている場合に限る。それらの個人的な能力があるからこそ、「他人に迷惑をかけない限りはOK」というルールは適応されるものだと私は考えている。

もしも、自制心もなく計画性もない人が「自分の稼いだ金だから…」という理由で散財すれば、最悪の場合は周囲に金をせびるような事態になったり、生活苦から強盗などの犯罪に走ったり、一発逆転を狙ってギャンブルやマルチ商法などの悪徳商法に引っかかり、返済不能なほどの借金をこさえてしまったり…という惨状が起こりうる。

このように「他人に迷惑をかけない限りはOK」というルールは、自分に甘くてわがままな人や、欲望に流されやすい人が自らに課すものではない。もし課そうものなら、普段以上にだらしなくなり、そして社会の底辺へと転がり落ちる要因になりうる。

もちろん、初期段階は自業自得で済むものだろう。しかし、次第に自分一人ではどうしようもないぐらいに状況が悪化してしまい、結局他人のご厄介になる可能性があるからこそ、私は「他人に迷惑をかけない限りはOK」という考えには慎重なのだ。

 

ちなみに、自制心や計画性がある人なら全く問題無いというわけではない。自制心があったとしても、つい目先の金銭的・社会的利益に目がくらんでしまい、自分をコントロールできなくなるリスクもある。

…ということを書くと「リスクを取らないとリターンは手に入らない」と意識高い人の声が聞こえてきそうだ。もちろん、その通りだなのだが自分をコントロールできなくなった結果、社会的な信用を失い破滅するリスクと引換に得られるリターンとは一体なんなのだろうか…と、思う。

「君子危うきに近寄らず」という言葉にあるよう、ただ闇雲にリスクに飛び込むよりも、自分が飛び込んでも問題無いリスクかどうかを吟味する能力を持つことが「他人に迷惑をかけない限りはOK」論を適用する時の肝になると思う。

 

「他人に迷惑をかけない限りはOK」のせいで、欲望をコントロールできなくなる怖さ

私が思うに意識高い系の学生は承認欲求や社会的評価を得る事への欲望が強い。そして、そうした欲望を自分で上手にコントロールできないからこそ、リアルやネットで過度に自分を大きく見せようとイキった態度をとったり、(情報商材屋が口にしそうな)美味しい話や儲け話に考えもせず飛びつくのだろうと見ている。

もちろん、この時点ではそれほど迷惑をかけているわけではないし、むしろ接点が無い限りは「ただの他人がなんかやっているな」ぐらいに見られるだろう。

しかし、意識高い系の学生は若さや社会経験の無さゆえに、自分の欲望をコントロールする能力が十分に備わっているとは言えない。むしろ、そういった節操のなさとも言える落ち着きのなさを「自分の長所」と捉えて肯定していることも目立つ。(まぁもっとも、自己コントロールできていれば、学業やスポーツで相応の成功を手にして、承認欲求への異様な執着は消えると思うが。)

そんな状態で「迷惑さえかけなければ…」と、自分で自分のブレーキを壊しにかかる思考に身を任せようものなら、近い将来自分一人では抱えきれないような問題を抱えてしまうリスクが高まるのだ。

もちろん、破滅寸前で目が覚めて引き返せる人も決していないわけではない。しかし、引き返したからといって、必ずしも元の人間関係に無事に戻れる…というわけではないのだ。

 

暴走しがちな危険人物とみなされて、まともな人から回避されてしまうリスク

「他人に迷惑さえかけなければ…」という理論に心酔する人に対しては良い印象を持ちづらい。単刀直入に言えばヤベーやつなのだ。

散々説明したように、自分で自分を暴走させかねない理論を肯定するような危険人物とみなされたり、近づくだけで面倒事に巻き込まれる未来が予想できてしまうタイプの人だからこそ、常識的に生きている人や守るべき現実の立場や人間関係を持っている普通の人からは、スーっと距離を置かれてしまうのだ。

破滅寸前で引き返せた人が苦労するのは、こうしたまっとうに生きている人からそっぽを向かれること。そして、同じように自分で自分のブレーキを壊してしまったような人としばらくは交友関係を持つか、ほとぼりが冷めるまで一人孤独に過ごしていく苦悩があることだ。

なお、もしも調子に乗っていた時にその活動をネット上で発表してしまうと、デジタルタトゥーとなり半永久的にネットで自分の不評が誰からも閲覧できてしまう状況になるリスクがある。

そうした身から出た錆で人生ハードモードにしないためにも「他人に迷惑さえかけなければ…」という極論に走らないことが重要…なのだが、そもそも極論に走る人は自制心が弱いからこそ極論に走ってしまう側面があるのは否定できない。