教えたがりな男性になってしまう理由についての考察

学校・教育関連
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教えたがりをする人は男性でも女性でも、どちらもそれなりに存在しているとは思うが、私が男性であるせいか、なにかと男性の教えたがりな人を目にすることが多い。

もちろん、上手に教えるとか、聞き飽きないようにユーモアを交えて教えてくれる人ならいいのだが、大抵は自分本位で失礼な教え方をしてしまう人が目立ち、残念な気持ちになることが多い。(もちろん、そういう人の教え方を欲している人がいるのはわかるので、ただ私とは相性が合わなかった…というだけの話なのだが。)

今回はそんな経験も踏まえて、教えたがりな男性になってしまう理由についての、個人的な見解と考察を述べていく。

 

教えたがりな男性になってしまう理由

「教えること=他人より優れていること」という感覚を味わいたい

私が思うに、教えたがりな男性は、誰かに何かを教えることにより、自分は他人より優れているといいう感覚を味わいたい気持ちが強いと見ている。

なお、ここでいう優れている感覚は、学力、年収、役職、フォロワー数のような客観的なモノサシで測れるものから、人脈、人徳、影響力、人間性、知識量のような主観的、感念的なものも含んでいる。まぁ、大抵は、勉強、仕事、収入に関係するものだが、決し明確な数字で測れるものばかりを求めて教えたがっているわけではないと、私は考えている。

なおこのタイプの人は、裏を返せば勉強や仕事などの競争の世界で、思うような結果が得られていない。その不満足な気持ちを、今いる競争の世界へぶつけるのではなく、(未熟な部分が目立つけど)自分の能力を別の環境へと移動して知識を披露し満足感を得ている傾向がある。

嫌な言い方になるが、満足感を得たいがための代償行為として、むやみやたらに教えているという考えもできてしまうのだ。

 

 

交友関係が乏しい男性が唯一人と会話できる手段が「教える」事

身も蓋もないが、男性は女性と比較すると誰かから話しかけてもらえる場面が少ない傾向にある。ここにルックスも加われば、優れたルックスを持っていない男性は、ますます人間関係の中で誰かから話しかけてもらえるような存在ではなくなってしまう。

あくまでも傾向の話として考えて欲しいが、教えたがりな男性はあまり優れたルックスを持っているとは言えない。むしろ話しかけづらいルックスをしている。(なお、ここでいうルックスとは後天的な努力により改善できるもの(清潔感、服装など)を指す)

もちろん、そんな男性であっても人恋しさに全く悩んでいるとは言えない。むしろ、寂しい経験をしているからこそ、他人から受け入れられたい気持ち、認められたい思いは普通の男性のよりも強い。そんな、強い承認欲求を満たこみゅにけす手段が、人に何かを教えるという行為なのだ。

この手の男性は、教えるという行為を自分が感じている寂しさを解消する手段の一つと考えているフシがある。そのためか、教える相手のペースを置き去りにした、自分本位な教え方になってしまうのだろうと分析している。(もとより、交友関係も会話経験も少ないので、キャッチボールみたいなコミュニケーションがちゃんとできるのかは怪しい)

 

 

教えたがりな男性がこじらせてしまうわけ

交友関係の少なさから来る孤独感が影響して教えたがりを発動する男性の場合、厄介なのが

  • 交友関係の少なさゆえに、自分の未熟さを指摘してくれる人が身近におらず、教え方が変な方向に行きやすい。
  • 交友関係の少なさのせいで、教えてもOKとみなした人に対して集中的に教えようとしてしまう。ある程度交友関係があれば分散するはずの熱量が、一人に集中しやすい。結果、教える側を疲弊させてしまいやすい。
  • 交友関係の少なさが災いして、教え方のバリエーションが増えない。ある程度幅広い交友関係があれば、その人にあった教え方を経験により学べるのだが、交友関係の乏しさのせいでバリエーションを増やす機会が無く、同じような教え方になってしまうのだ。
  • 教え方の問題以前に、交友関係の少なさのせいで対人能力が未熟である。とくに、人恋しさを埋めるためのコミュニケーションとして教えたがりをしている男性は、単純に教え方や内容に問題があるのではなく、基礎的な対人能力・コミュ力の無さゆえに、気が付けば人が離れており人間関係で苦労しているだけということもある。

といった問題を抱えてしまうことである。要するに、こじらせるポイントが多いのだ。

もちろん、そんな人でも今はネットを使えば簡単に教えたがり行為をできる時代である。しかし、そのせいで余計にこじらせている部分の改善が放置され、実生活での苦労が絶えないのではないか…という懸念もある。