「勉強できる人は性格が悪い」という話について思うこと

学校・教育関連
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リアル・ネットの世界関係なく「勉強ができる人って、実は性格が悪くて嫌な奴だよね~」という類のストーリーは、共感を呼ぶ人には共感を呼ぶものだ。(まぁ、この手の話題はどちらかといえば、ネットの方がよく話題になる)

この手のトーリーについて私が率直な感想は「まぁ、性格が悪い人も良い人もどっちもいるけどね」というものであるし、性格の善し悪しや真偽についてはあまり興味が無い。

むしろ、この手の勉強ができる人を嘲笑するストーリーに共感する人の精神構造や思考そのもの、そしてそのような内面を持つに至った環境や背景の方に、私は強い興味・関心がある。今回は、そんな私の個人的な見解と考察を述べてみる。

 

「勉強できる人は性格が悪い」という話を欲している人たちがいる

「勉強ができる人は性格が悪い」という類の話は、ある種の人にとっては非常に心地が良いものであり、娯楽の一種として消費できるという側面がある。だからこそ、度々話題になっていると推測している。

要するに、学力に自信がなかったり、学歴や賢さに関する劣等感やコンプレックスを持っている人にとっては、自分が手に入れられな方ものを持っている人(=勉強ができる人)が実は嫉妬の対象ではないと思わせてくれる。

むしろ、嫉妬するのがバカバカしくなるような、取るに足らない存在である。それどころか、むしろ性格の善し悪しという点では、自分の方が優っているという優越感すらも抱かせてくれるような、非常に心地の良いストーリーである…と思えることで、満足感を得られる。

そういう効果があるからこそ、勉強ができる人を嘲笑するストーリーは度々もてはやされているのだろうと考えている。

 

ただし、娯楽としてストーリーを消費しているだけでは、決して自分の学力が上がるわけでもないし、勉強して着実に賢くなっているとは言い難いのは明白だ。

コンプレックスを感じているのなら、そのコンプレックスを克服して勉強のできる自分になった方が満足感は得られそうなのだが、どうも将来の満足感を得るために、自分にストレスをかけるのをひどく嫌がる傾向が「勉強できる人は性格が悪い」という話に共感している人に目立つ。

面倒な我慢をしてその先にある幸福を得るよりも、我慢なんてせず楽に幸福を得られる手段を好む。そういう精神的な甘さや未熟さ、打たれ弱さや自制心の無さが、勉強ができないという自身の負の個性を作っているよう思えてならない。

 

自分の性格の悪さを逸らすために、仮想敵として勉強ができる人の存在を利用している可能性

また、自分で自分の性格の悪さをうっすらとでも自覚している人もまた、「勉強できる人は性格が悪い」という話に深く共感する傾向が見られる。

これは、自分よりも性格の悪い存在を叩くことで、相対的に見て「自分はあの人よりはまだマシだ」という安心感を得られるからこそ、勉強ができて性格の悪い人を仮想敵とみなして叩いているのだろうと推察している。

自分で自分の負の部分を受け止めるのはそう簡単なものではないし、認める過程で精神的な苦痛を伴うのも無理はない。当然、逃げたくなる気持ちが起きるのも無理はない。

しかし、上でも言ったようにメンタル面の打たれ弱さがあるせいで、勉強して賢くなるための努力をしようと考えることは難しい。むしろ勉強できるけど性格が悪い人(妄想上の人物も含む)を叩くことで、見たくない自分の暗い部分から逃げているのではないかと思えてくる。

 

「性格の悪い部分=その人の本性」と結論づけることの問題点

最後に若干話がそれて申し訳ないが「性格の悪い部分=その人の本性」と結びつけてしまう考えについては、私は危うさを感じている。

というのも、人間の性格というものはコインの裏表のように、明確に二つに分かれているものではない。

一人の人間に明るい部分と暗い部分があることは自然だし、もっと言えば明るくも暗くもない部分もある。つまりは、性格は複雑なものであるし簡単にカテゴライズできるほど単純なものではないという考えが私の根底にはある。

だからこそ、「性格の悪い部分=その人の本性」と結びつけるような、わかりやすいが短絡的な部分が目立つ考えについては、懐疑的になってしまうのだ。

誰だって生活していれば、いい気分になれば、悪い気分になることもある。そうした気分の移り変わりを見て「いい部分は嘘で、悪い部分が本当だったんだ」と断定してしまうのは、相手のことを単細胞生物のように単純な存在として捉えてはいるのではなかろうか…かと感じてならない。

 

最後に

勉強ができるという正の側面が強ければ強いほど、性格の悪さのような負の側面の存在が際立つのは無理はない。

しかし、そうした負の側面は、あくまでも勉強ができる人の一部分にすぎず、それを本性だとか本質だとかで決めつけてしまうような考え方では、人間関係で勝手に期待して勝手に失望する…という類の気苦労が絶えないのではないかと心配になる。

 

 

…まぁ、この手の複雑なものを複雑にグダグダ説明する文章は、複雑であるがゆえにネット上ではバズりにくい。バズりやすいのは、複雑なものを短絡的なまでに単純にして、バズるような脚色を加えた文章なのだが…