優しい人が他人を見捨てる理由について語る

人間関係・コミュニケーション
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優しい人は他人を叱ることに抵抗感が強い。そのため、本当に人間関係に困ってしまったときは、怒りで表現するのではなく、その人を見捨てるという行動に出る…ということは、自分が優しい人、あるいは身近に優しい人がいる人であるば、経験則として知っている知識であろうかと思う。

言いたいことがあれば一喝するなり、チクリと叱ればいいのに、それすらしないで見捨ててしまう。「優しい人はしっかり怒ってくれる人よりも恐ろしい」と言われているのは、「優しさ→見捨てる」という落差の激しい行動に出てしまうことが原因であると考えられる。

今回は、そんな優しい人が他人を見捨てる理由や背景などについて語らせていただこう。

 

優しい人は波風立てないために「見捨てる事」を選ぶ

優しい人が付き合いづらい人に強く言えないのは、もしも叱ったことによって「あの人は優しいけど怒ったら怖い人」という印象がついてしまうことを恐れていることがある。

また、叱った相手が話を誇張して広める可能性もある。社会人相手であったら、セクハラ、モラハラ、パワハラなどの各種ハラスメント加害者であるとみなされて、自分の評価や居場所を無くしてしまう可能性もありうる。

そしてなにより、今まで優しく…というか、穏やかでのほほんとした生活をしてきたために、叱り方の加減が分からないこともまた、叱るよりも見捨てる事を選んでしまう一因である。

叱り方の加減がわからない…つまり、もしも自分がキレるようなことがあれば、今まで腹の中に溜まっていた不満や恨みの数々を相手にぶつけてしまうかもしれない。適切な指導の範疇を超えて、単純に相手への人格や生き様の批判、ハラスメント行為にへとエスカレートしてしまう…そんな自分自身への怖さを、心の奥底では感じているのだ。

優しい人は自分がかなり荒く波風を立ててしまうであろう性格であることを理解している。だからこそ、あえて見捨てるという選択肢を選ぶ事で、自分の中の化物が暴走しないように必死にコントロールしているのだ。

 

見捨てることで自分は加害者にならなくて済む安心感がある

現代において、誰かを叱ることは大きなリスクを伴う行為になっている。

スマホやSNSの浸透により、誰かが叱っている様子を動画で撮影して、キャッチーなキーワード(「体罰教師」「パワハラ上司」「いじめ現場」など)と、個人情報と紐付けてアップすれば、叱っている人の社会的評価を著しく下げることも可能だ。

つまり、叱っている人を悪役に仕立て上げて、ネット上で不特定多数の人に叩かせる。場合によっては電凸や個人情報の更なる拡散などにより、直接叱った本人(及びその人の家族や所属先など)に嫌がらせをすることもできてしまうのだ。

また、パワハラの概念が浸透したことで、叱ることそのものに対して消極的になる人も増えている。若者世代も叱る親、教師、ご近所さんが減ってしまったことで、怒られ慣れてない人も多く、些細なことで叱られても、「これはハラスメントだ」と主張する。つまり、叱られても反省しない若者が出てくるようになった。(まぁ、若者に限ったことではないとも思うが…)

こうした私たちの暮らす社会の変化がおきて、「じゃあ、叱るのをやめてとにかく褒めて育てます」という方法でで、全てが丸く収まるわけではない。褒めて勘違いしてしまった結果、ミスをやらかす人も当然出てくるものだ。

そんな勘違いしている人に対して、叱るというハイリスクな行動を取るよりは、いっそ見捨てて冷たくしたほうがリスクが少ないのは明白だ。

優しい人から見れば、見捨てることは叱るよりも安心な方法であり「自分がやらかしたミスの大きさを強く思い知りなさい」と自身の気持ちを荒立てずに伝えられる、合理的な方法だと捉えている。だからこそ、見捨てる事を選ぶのだ。

 

優しい人は甘やかしてはダメな人を選んで見捨てている

話は少し変わるが、優しい人は

  • 優しさを甘やかしと勘違いして付け上がる人。
  • 優しさにあぐらをかいて、成長を放棄する人。
  • 優しい人に頼りきる、楽をしたがる依存傾向のある人。

など、どう見ても優しくしすぎてはダメになってしまう人間を選んで、見捨てる傾向がある。

この手の傾向がある人は、他人から叱られると「叱ってくる人は加害者であり、私は被害者である」という他責の姿勢をとりやすく、相手にするだけで疲れる可能性が高い。

ちょっと叱ったことを針小棒大に取り扱って、あらぬ噂を広められるリスクもあり、対応は慎重にならざるをえない。

 

そんな人に役立つのが、何度も書いているように「見捨てること」だ。

一見すると叱ることよりも温和で静かな状況がそこには広がっている。しかし、内実は叱っても無駄だと暗に判断され、自分で反省しない限りは今の交友関係の中で居場所を失いますよ…と、(口では態度やその場の空気で警告できる。

ゼロリスクというわけではないが、下手に叱るよりも安心かつ自省を促す方法といえよう。

 

見捨てても悩みやストレスがないわけではない

ここまで書くと、優しい人は気持ちよく他人を見捨てられる、どこか人間味を感じさせない冷酷な人のような印象を持ってしまうかもしれない。

しかし、優しい人もまた見捨てる行為に対して心を痛めているのだ。決して、冷徹で人の心までも捨てきった人間ではないと補足しておきたい。

 

優しい人は、見捨てる行為に対して

  • 多少波風を立ててでも叱ったほうが、相手のためになるのではなかったか?
  • 見捨ててしまうことで相手の心に、より深いダメージを与えてしまったのではないか?
  • 見捨てるにしても何らかのフォローを出しておくべきではなかった?

という、後悔や自責の念に苦しまされていることもある。

本当に優しいが故に、「私に見捨てられるようなことをしている相手のほうが悪いに決まっている!」と他責で結論づけることができず、自責する辛さがあるのだ。

こうした辛さを知識としてしっておくことが、もしかしたら起こりうるかもしれない優しい人に見捨てられる場面で生きてくるかもしれない。

…と、いうことを語って今回はお開きにさせて頂く。