「苦手な人、嫌いな人とは距離をとっていい」とか「今の世の中嫌われる勇気を持つことが大事だ」みたいなことを(主にネット上で)言い出し評判を得ようとする人が増えたせいか、公私関係なく遠慮なく人間関係を取捨選択する人が増えたように思える。
もちろん、関わる相手を選んで自分にとってより良い関係を持とうとする行為自体は否定しない…が、その一方で「いや、あなたは人間関係を選ぶような生き方をしたら余計に面倒なことになる気がするんだけどなぁ…」と思うことがある。
今回は、そんな私のおせっかいじみた気持ちをエネルギーにして、人間関係を選ぶ生き方で失敗してしまう人の特徴について個人的な見解を以下で語っていく。
自分だけが得をしたいために人間関係を選ぶ人が失敗
人間関係を選ぶ基準が自分にとって損か得かで決めようとしている、自己中心的な性格の人は、私個人的には人間関係を選ぶ生き方は推奨できない。
この手の人は、シンプルに人を人として見ていない。フォロワー数やチャンネル登録者数のような、無機質な数字のようなものとして他人をカウントしている傾向があり、数字が多い人に惹かれる栄光がある。
仮に、人となりを見ていたとしても、その人が持っている肩書き、資産、社会的な地位などのステータスを見て「この人と関われば自分の得になる」と考えて動いてしまう傾向がある。
このような思考パターンを持っている人は、同じく他人をただの数字であったり、肩書きのみでしか認識していないような持ち主の人が寄って来やすい…というよりは、他人を一人の人として向き合って見ようとする人から「浅ましい人」だとか「品のない人」と思われて敬遠される。
その結果、同じように損得ばかりで見ようとする浅ましく品のない人が寄ってきて、人間関係のトラブルに巻き込まれるのだ。
まぁ、そういうトラブルが多いからこそ「人間関係は選ぶべき」と考えてしまうのはある意味納得できるが、かと言ってトラブルを起こしそうにない品のいい人達からは、拒否・拒絶されてしまう確率が高いのは言うまでもない。
受身なくせに人間関係を選ぼうとして孤立する
損得だけで見るガツガツした人のみならず、普段から受身なくせに人間関係を選ぼうとする人もまた、人間関係を選ぼうとして動くと、多くの人からやんわり拒絶されて孤立に悩みやすいと私は考えている。
そもそもで言えば、受け身な人は人間関係を選べる立場にない…というのが私の持論である。
社会人として営業職など積極的且つ主体的に動くことが求められた経験がある人、フリーランスとして積極的に新規開拓をしていかなければならないor自分の実力を実績を着実に増やすために他者との競争にもまれた経験がある人であれば「受け身な人は人間関係を選べる立場にない」という言葉に対して、多少理解できようかと思う。
恋愛、仕事、友人関係などあらゆる人間関係において、人間関係を選べる立場になるためには努力が必要である。
自分磨きをする。仕事に勤しみキャリアを積む。清潔感であったり、話術・教養を身に付ける…など、ありのままの自分に安住せず主体的に自分を高めることではじめて人を選べる立場になるのだ。
そうした努力もせず、ただ受身で生きている人が人間関係を選ぼうとすると、大抵は「何この人勘違いしているの?」「君って人と積極的に関わろうとしないくせに、人を選り好みするんだね…(呆れ)」というような反応が返ってくる。
自分では人間関係を選んでいるつもりかもしれないが、関わると面倒な人とみなされてシンプルに孤立しているだけ…ということが起こるのだ。
人間関係を選ぶ権利、他人を嫌いになる権利は、関わる相手も当然持っていることを忘れてはいけない
最後に、人間関係を選ぶ生き方が一部の界隈で持て囃されるのは、自分で自分の人生を全て決めたい、せめてストレスが多い世の中だからこそ自由を手にしたいという気持ちを持つ人が増えているのが一因だと私は考えている。また、ネットの普及により人間関係を自分の自由に選べる状況が整ったこともあると感じている。
しかし、人間関係を選ぶ権利は何も自分だけの特別な権利ではない。当然ながら自分が関わりたいと思う相手も同じ権利を持っているものである。
つまり、「自分は好きに人間関係を決めるけど、自分と関わる人が人間関係を選ぶのはNG」という考えでは筋は通らない…というようなオチを最後に持ってくるのは、上で散々「こういう人は人間関係を選ぼうとすると失敗しますよ」と解説した自分でもどうかと思う。
ただこのように自己矛盾に陥るぐらいに、人間関係というものは複雑である。その複雑さを「しゃーねーなぁ」と受け入れるだけの精神的余裕を持つこともまた、人間関係では大事だと思う。
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