自分は嫌われていると思う癖がある人が好きになれない理由を語る

人間関係・コミュニケーション
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一個人の主観的な意見で恐縮だが、私はどうも「自分は他人に嫌われているのではないか」と思う癖がある人のことを好きになれない。

今回はこのことについて、つらつらと語っていこうと思う。

 

 

その気がなくとも「目の前にいる人は簡単に誰かを嫌いになるような短気な人」とみなしているようで好きになれない

純粋に嫌われていると思う癖を持っていることそのものが好きになれないのではなく、人から嫌われる対象になることに怯えている被害者意識の強さの割に、実は自分は他人のことを侮って見ている。

つまり、他人はすぐ誰かを嫌うような短気な人間であるとみなしている。そんな失礼極まりない思考の持ち主のくせに、被害者意識が強いせいかおよそ自分が失礼な人間ではないという甘い自己認識をしている印象の強さが、どうも好きになれない理由の一因だと私は考えている。

ちなみに、自分は嫌われていると思う癖がある人は、そういう癖を露骨に出していなくても態度や表情の固さ、人間関係に対する消極的な態度、非協力的な部分が強いために、嫌われるまではいかなくても自然と孤立してしまう。

その孤立状態を「自分は嫌われた」と飛躍して考えてしまう癖もあるため、容易に自分は嫌われたと捉えてしまうのだろうと分析している。

 

 

頻繁に「あの人は自分を嫌っているのでは」と思うことそのものが失礼なことであるという認識がない

上からの続きになるが、自分は嫌われていると思う癖がある人は、どうも相手の機嫌を頻繁に確かめる…と言えば気遣いができる人のように思えるが、実際は相手の機嫌を試すような感覚で、地味に挑発的で失礼な態度をとっていることがある。

その例が人の「顔色を窺う」であったり、「妙にご機嫌取りをする」だったり、「無理にその場を盛り上げようとする」だったり…である。

もちろん、こういう行動は本人に悪気や悪意はない。が、受け取る側はどうも小馬鹿にされているというか、受け取る側のことを考えているようで考えていないだけのマイペースな善意や誠意を押し付けられているような気がして、なんだか失礼な事をされた気分になるのだ。

これだけ書いて今更感があるが、誤解を恐れずに言えば自分は嫌われていると思う癖があるナチュラルに失礼なことをしてしまう自分に気づいていない。ゆえに私は好きになれないのだと思う。

 

 

自分は嫌われていると思う癖そのものに「自惚れ」を感じる

これは私の持論だが、人が人を嫌うのはそう滅多にないと思う、嫌いという感情に至る前に「どうでもいい」「無視する」となって、嫌う相手に対する労力を削減する方向に走るものだ。わざわざ嫌いな対象に対してエネルギーを注ぐような変わった人はそう多くない。

そういう考えを持っているからこそ、自分は嫌われていると思う癖そのものが少々…いや、結構な思い上がりと自惚れを感じるような癖であると考えている。

世間や世の中は自分を中心に回っているわけではないし、所詮普通の一般人に多くの人を好きor嫌いと思わせるような影響力やカリスマ性もあるわけがない。

にもかかわらず、自分が自分は嫌われていると思う癖があるのは、強い自己愛そのものではないだろうか。

 

 

誰かからの悪意を感じ取れる自分に優越感や正義感を覚えていないか?

最後にひねくれた性根の持ち主である私だからこそ思うのだが、自分は嫌われていると思う癖がある人の中には、ひょっとしたら誰かの悪意や敵意を感じることに優越感みたいなものを感じている節はないだろうか。

すぐ上でも述べたように、人の悪意を見抜けると思っている自分にどこか自惚れ感じていないか?それこそが普通の人には見られない才能や特別な能力だと思っていないか?……と投げかけたくなることがある。

人の悪意に対して敏感(だと自分が思っている人は)まるで自分が凄腕の探偵や刑事のような、いわゆる正義側の人間になったような気分が味わえることだろう。

しかし、実際の自分は探偵でもなければ刑事でもないし、正義のような輝かしい存在でもない。多くの場合は普通の一般人であろうと思う。