「仕事が好き、働くのが好き」と迂闊に言わないほうがいいと思う理由

仕事・ビジネス
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「好きなことを仕事にする」というようなフレーズが、副業やフリーランス(自営業)を推進する方々で流行っているのを見ると、世の中の仕事の多くは「好きなことではない」と考える人が多いと思う。

そんな中で「今やっている仕事が好きです」「働くことが楽しいです」と思える人は、本当に幸せ者なのだろう。

しかし、私個人としてはその幸せを迂闊に言わない方がいいと思う。

 

かくいう私も、かなり仕事中毒な身で且つ仕事が好きだとは自分でも思う側の人間だが、そういう行き着くところまで行ってしまってない人であっても、仕事が好きであることを言うのは用心したほうが良いと思う。

その理由について語っていこうと思う。

なお、この記事では「意地悪な人に嫌な仕事を押し付けられるから仕事が好きだと言わないようにしましょう」…というような、どこかの生きづらさから人々を解放する自称アドバイザー的なインフルエンサーが述べそうなことは書かないし書く気もない。

 

 

「仕事が好き、楽しい」と感じる人は少数派であるが、自分が少数であるという自覚が湧きにくいことが多い

冒頭でも触れたが、多くの人にとって仕事はそれほど好きなものでもなければ、楽しいものでもなく、生きていくために仕方なくやっているもの…という面が強い。でなければ「サザエさん症候群」のような、愉快だなぁとは到底思えない概念が話題になることもなかっただろう。

しかし、仕事が好きor楽しいという人は、自分が少数派であるという自覚が湧きにくい。もっと言えば、仕事が好きだと感じる者同士で人間関係が形成されることが多いので、自分が少数派であるという自覚が湧きにくい状況の中にいるからこそ、つい「世の中の人は仕事が好き。働くことが好きなんだ」と考えてしまいがちになるのだ。

シンプルに言えば仕事中毒気味な人は仕事中毒気味な人とつるむし、そのほうが話が合うし、居心地も良い。だがそんな関係を続けていれば、自然と世間の大多数の人の意見と食い違うような考え方を持つようになるのも無理はない。

 

なおこれと似たようなことは、私が自称ではない中高一貫の進学校に通っていた私の経験にも通ずることがある。

進学校に通うような生徒は、そもそも勉強に対する忌避感が無い。むしろ勉強そのものをまるでスポーツや遊び、ゲームのようなものとして楽しみ打ち込んでいる節すらある人が多い。

もちろん、ここでいう勉強はいわゆる受験に直結するものから、受験に関係ない科目も含むし、雑学や自分の興味のある分野を研究・探求する…というものも含む。

進学校に通う生徒にとっては、勉強は苦行ではなく娯楽の一種のようなものである…という認識を持っていたと表現するのがふさわしいと思う。(もちろん、勉強が苦手だとか好きではないという人もいたが、そういう人でも進学校に合格できて授業についていけるところを見ると、勉強するのはだるいけど忌避感があるというわけではないのだろうと分析している。)

 

純粋に仕事が好きであることそのものが誰かの劣等感を刺激する

(勉強も)仕事も多くの人はそれほど好きなものでもなければ、楽しいものでもなく、生きていくために仕方なくやっているものである。

しかし、そんなことを知らないまま大人になり、ふとした時に自分は「仕事が好きです」と言ってしまうと、知らないうちに誰かの劣等感を刺激してしまい余計なトラブルを生む要因になる。

これこそが迂闊に仕事が好きと言うべきではないという理由である。

まぁ、世間的に良いとされていることをその身で実現している人に対して劣等感を抱いてしまう人に配慮すること自体、私はアホらしいとは思う。

もちろん、仕事が好きな自分を抑制しろというつもりはないが、目の前の相手が「仕事が好きである」と言って問題ない人間であるかどうか冷静に判断することはしておいて損はないと思う。

変に相手が劣等感を抱きやすい、被害者意識や罪悪感のようなものに悩まされやすいタイプであれば、不必要に刺激しないように生きるのが賢明なのだ。

 

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「仕事が好き=金が好き」という安直な印象を持たれやすい

ごくまれにだが、仕事が好きであることに対して「あなたが好きなのは仕事ではなくお金儲けだ」というような安直な印象を持たれてしまうことがある。

とくにやっている仕事が高給取りだとか、妙に清廉潔白なイメージであることが求められる仕事(例:医療系・教職など)の場合は、劣等感をこじらせた人からけなされるような印象を植えつけられてしまうことが起きる。

また、世間的にも仕事が好きな人はあまりにも正しく綺麗すぎて気味悪がられる部分がある。それよりは、そんな正しく綺麗な人にも人間らしい汚い部分がある…というイメージを持たせる情報やイメージの方が面白いしニーズがある。

ゴシップのニュースや雑誌が流行るのを見てもわかるように、人は醜さを楽しめる部分がある。そういう人達に目を付けられネタとして消費されないためにも、「仕事が好き、働くのが好き」ということを迂闊に言わないほうがいいと思うのだ。

 

 

最後に

この記事を書こうと思ったのは、先日意識高い系御用達メディア「NewSpicks」が品川駅で掲載した「今日の仕事は楽しみですか。」という広告が、おもにSNS上にて炎上したのがきっかけである。(なお、私はNewSpicksはこれまで一度も利用も加入もしていない。)

あの炎上を起こしたり、炎上に加担するような人はそもそもNewSpicksの想定顧客ではないと思うのがだが、そういう人たちが起こした炎上の火種が結局のところ広告取り下げにつながったという考え方を見て、「仕事が好きだ、楽しいと主張することをよく考えた方がいい時代になったのだなぁ」と思った。

 

…まぁ、意識高い系御用達メディアのNewSpicksだから炎上したという意見もあるとは思うが、私個人的意見としては、仕事が好きな人の考えそのものを反映しているような広告だと感じ取れたが、その考えを言うべき場面や状況は、改めて慎重になるのが賢明な世の中だなぁ…とも感じた次第である。