仕事からすぐ逃げ出してしまう人についての考察

仕事・ビジネス
この記事は約4分で読めます。

私の経験上の話で恐縮だが、仕事から逃げる人にはある一定の共通点があるように感じる。

とくに、物心付いた頃からネットで情報を調べるのが当たり前な若者世代には、どうもネットの極端な情報を鵜呑みにしてしまった結果、仕事…ひいては働くことそのものに対して、偏ったイメージを持ってしまっている。

そのイメージが災いして、働くことを過度に恐れたり、忌避したり、どうにかして労働という名の懲罰的な何かから逃れようとする。結果、自分で自分のキャリアを台無しにしてしまっている人が、思いのほか多いように感じている。

今回は、そんな仕事から逃げ出す人や、働くことそのものを回避したがる人について、個人的な見解を述べていく。

 

ネットの極端な情報を過度に鵜呑みにしているという可能性

冒頭でも述べたように、ネットの世界(SNSやyoutubeも含む)では、今や働くことについて様々な情報を調べられる。

しかし、その情報の中には、例えば過度に労働を厳しいものだとか、虚しいものだとか、健康を損ねるような恐ろしいものだとか…というような、現実の一部分を切り取り、過度な脚色を加えている偏った情報も混じっている。

なお、このような偏った情報は、そうでないまともな情報と比較して、キャッチーなものであるため、ネットの世界では拡散されやすい性質がある。

つまり、バズって閲覧数が稼ぎやすいために、至って普通な仕事の情報と比較すると、どうしても普段ネットに触れている中で目にすることが多い。

 

何度も目にしているうちに、「仕事=下手をすれば命の危険につながるもの」というような考えを持つに至ってしまう人が増えているのではないかと思う。

とくに、まだ働いていもいない若者にとって、実際の仕事の内容を知ることができる唯一の手段がネットという人は想像に難くない。現に普段からTVや新聞を見ない人は若者以外でも多く、日々の情報源の多くをネットという人も、外出を控えるようにと言われている今のご時世では珍しくない。

そんな人が、働きもせずただネットで見かけた極端な情報だけで、現実にあるあらゆる職種・業態のにことを、全て「怖いもの」と考えてしまった結果、働くことを忌避する感情が芽生えるのだろうかと考えている。

 

ネット以外の情報源、交友関係がないことも、仕事に対する視野狭窄を生む原因になりうる

学生という身分の都合上どうしても仕方がないことだが、まだ働いていない若者の場合、仕事に関する情報をネット以外で入手するのが難しいものである。

当然ながら、同世代の友達同士で学生ながら仕事について話すようなことは無いし、仮にあったとしてもそれはネットで調べた情報を口にしているだけ。実際にバイトでもいいからどこかで働いた経験を話すことは、早くても高校生からである。

なお、学生によっては校則でバイトが禁止されている場合もあるので、これも仕事に関して若いうちに誰もが話せるような状況が、誰にでもあるとは言えない。また、えてして「バイト=ちょっとしたお小遣い稼ぎ」程度の間隔でみなしている学生も多い。そのために、しっかりとした話し合いができるのは、それこそ就職活動を意識し始めた頃が現実的だろう。

 

また、各家庭においても「家の中まで仕事の話を持ち込まない」という暗黙のルールがあるために、仕事に関する知識を得られないまま成長していく人も珍しくはない。

場合によっては「子供は仕事のことなんて考えずに、勉強しておけばいい」という教育方針で育ち、仕事に関する知識に触れられず成長するケースもあるだろう。

ほかにも、親が専業主婦or主夫で仕事に関する知識…それも、なるべく昔のものではなく現在の働き方に関する情報や経験が無い場合も同様に、仕事に関する知識を得られないまま子供が成長しても不思議ではない。

そんな状況が影響してか、今や仕事に関する情報を得られる場所がネットしかない。加えて、ネットの情報の真偽を確かめるのに必要な知識を得られる場所が現実にはない。

結果、ほぼ何の知識もない状態でネット上の極端な仕事の情報に触れて、世の中に溢れる仕事の多くを過度に悲観視する…という状態に陥いってしまう。

そんな状態で、いざ働き出すと(多くの社会人から見て)何の問題もない些細なことでも「ここではブラック労働が平然と行われている!」とか「パワハラが普通に行われている!」と感じて、仕事をやめてしまいたくなる。ほかには、そもそも働くことそのものからの逃避を図ろうとする…という事例もあるのではないかと、私は考えている。

 

最後に

今や学生でも当たり前のように社畜、ブラック企業、パワハラ、サービス残業…というような単語を発する人は多い。

私自身が、主に若者向けの娯楽に関わる仕事をしている身でもあるためか、この手の仕事や働き方に関する尖った表現をする媒体は多く見てきているのも事実だ。

もちろん、それらは娯楽の一種として楽しむための表現なので、そこまで目くじらを立てるものではない。しかし、そういった娯楽の中にある表現や情報を、あたかも現実の仕事や労働にそのまま当てはまる…と考えている人がいるような気がしてならないという気持ちも同時に持ち合わせている。