負け癖と言えば、多くの人は「自分は全力で頑張ったけどもう無理だ~」というように、ある程度努力した上で最終的に自ら勝負を降りる…というような人を想像するかもしれない。
このイメージだと、少なくとも惜しいところまでは頑張れる人。つまり、比較的肯定できる部分のある人のように思えるし、私もこのイメージを「負け癖」に抱いていた。
しかし、意識高い系大学生の時に、どうも上のような負け癖とは違うような負け癖を持っている人を数多く見てきた。今回はその経験も踏まえて、負け癖がある人の特徴について個人的な見解を述べていこうと思う。
頑張らなくても問題なさそうな方向で人生の重要な進路を選ぶ
まず驚いたのは、そもそも勝負を最初からしようとせず、楽な方に流れる傾向が非常に強いということだ。
たとえば
- 受験勉強しなくても入れるような高校、大学を選ぶ
- とくに就活用の勉強や訓練をしなくても良さそうな就職先を選ぶ
と言うように、今後の人生を大きく左右するであろう重要な進路選択に置いて、何かしらの努力や挑戦をしようとせず、ありのままの自分でも問題なく行けそうな道に進むということだ。
もちろん下手に勝負や競争の場面に出て傷つくぐらいなら、最初から今のままでも行けるような選択をすれば、精神的に傷つく事は回避できる。実に合理的な生き方だろうとは思う。
なお、後述するように本気で勝負事に挑んでいるわけではないので、結果はどうあれ勝負から教訓を得ることもなく、見事成功を掴んで自信を身に付けることもない。
言葉にすると非常に難しいが、私は「ただぼんやりと生きているだけの人」とか「年齢を重ねるにつれて、選択肢の幅が狭まりそうな人」という印象を抱いた。
そうした人と比較すれば、冒頭でも述べたように何かに挑戦して敗北を味わった人の方が、まだ頼もしさや期待性を感じる。しかし、頑張らなくても問題なさそうな方向で人生を歩んできた人には、そういった可能性や期待などを微塵も感じ取れなかった…というのが率直な感想だ。
勝負事や競争に負けても真剣に取り組んでないので反省も改善も見られない
繰り返しになるが、負け癖のある人は最初から勝負事や競争に取り組もうとせず、今の実力で問題なさそうな楽な進路を選択する傾向がある。
もちろん、一応でも何らかの試験や面接などを突破パスしているので、一応勝負に挑んでいるとは言えるだろう。
しかし、突破するための準備や訓練をしていないので、仮に進路が無事に決まったとしても「自分がどういう努力をした結果、今の進路を手にしたのだろうか?」と自分で自分を振り返る経験がない。つまり、反省や改善が見られないのだ。
ぼんやりと進路を選んでいるためか、学生・社会人生活でも当事者意識が見られない。また、訓練せずにいけるような進路を選び続けているので、勉強にしろ仕事にしろ努力して、挫折して、そこから学んで、また努力して…という、成長・学習に必要な一連の流れが見られない。意識高い系っぽく言えば、PDCAのどれもができていない…となる。
また、悪く言えば場当たり的な生き方をしているとも言える。そして、場当たり的な生き方だからこそ、しっかり準備して自分の人生や目の前の現実に向き合おうという気概が生まれてこないのだと私は考えている。
「自分は本気出せば勝てる」と感じている
もちろん、場当たり的な生き方をしているからといって、必ずしもその生き方に焦りや後悔を微塵も感じていない人ばかりではない。
ふと思い立って振り返れば、ただなんとなく生きてきただけの人生に焦りと不安を感じて、半ば流されるように意識高い系の学生になった人達と、学生時代に私は交流していた。
この手の人に多いのが「自分はちゃんと本気出せばやれる、勝てる、うまくいく」というような、お花畑思考をしていることだった。
お花畑になる理由は、今まで本気で勝負事に向き合った経験がなく、客観的な自分の身の程を知らないまま生きてきた体と私は考えている。
受験なら偏差値、スポーツなら順位や記録、仕事なら職歴、評価、役職など、自分が他人と比較してどの立ち位置にいるかを知る経験を今までロクにしてこなかった。
もちろん、一応でも受験や就活をした人もいるが、上でも言ったように入念に準備したわけではなく、ありのままの自分で行けそうな選択をしてきただけに過ぎない。
つまり、本気を出していない人生を歩んできたためか、自分の実力を過大評価してしまう傾向があるのだと私は見ている。(なお、過小評価する場合もあるが、どっちみち身の程を知っていないのは同じである。)
なお、この手の「本気出せば…」と考える人にありがちなのが、意気込むだけに終わってしまい、実際に本気を出すための訓練もしなければ、勝負事に挑むようなこともしない。まさに意識高い系の典型…口だけの人間なのだ。
客観的な自分の実力、身の丈を知るのを恐れて本気を出す事を回避しようとする
口だけで終わってしまう理由として考えられるのが、本気を出して客観的な自分を突きつけられるの強く恐れているからだと私は考えている。
もしも本気を出した自分が、自分の理想像にちっともたどり着いていなければひどく傷つくのは明らかだ。
だからこそ、嫌でも本気の勝負をする場面を避けるし、本気を出して傷つかないように最初から頑張らない生き方をする。
仮に頑張らない生き方で手にした結果であっても「自分は本気を出していないだけだからね」と言い聞かせれば、自分の理想像を壊さずに済む。つまり、自尊心(プライド)が傷つかずに済むのだ。
最近は、未来に希望が持てず心身ともに疲れた人が多いせいか「無理に頑張らなくてもいいんだよ」という優しいメッセージをよく見聞きする。
しかし、頑張らなくてもいいという生き方は決して楽ではないし、むしろ窮屈で息苦しくて、そして充実感の無い生き方だと私は感じている。
もちろん、自分の身の程を知るのは怖いだろう。しかし、自分の身の程を知り、そこから真剣に頑張る生き方は、決して辛いものばかりではないと思うのだが…こういう負荷をかける生き方は、今のご時世だと流行らないと思う。