苦手なことから逃げない人の特徴について語る

逃げ癖・負け癖
この記事は約5分で読めます。

苦手なことやあまり人がやりたがらないことから逃げない人というのは、純粋にかっこいいし憧れの対象になる人物だと思う。

「好きなことや得意なことを仕事にしよう」とか「苦手なことを克服するよりもできることを伸ばそう」という、耳障りのいい言葉を見聞きするようになった昨今において、あえて茨の道を進んだり、自分で自分の人生をハードモードにして耐えていける人が見せる時代の潮流に抗う姿勢に対しては、自然と尊敬の意を示したくなるものだろう。

今回は、そんな苦手なことから逃げない人の特徴について、私個人的な見解を述べていこうと思う。

 

苦手なことから逃げない人の特徴

失敗しても大丈夫なぐらいの経済的・精神的余裕がある

逃げない人には自信がある。自信があるからこそ、苦手なことにも立ち向かえる。

では、その自信がどこから来ているかと言われると、私が思うに経済的&精神的な余裕から来ていると考えている。

つまり、「多少今自分がやっている仕事で失敗or資格試験で失敗orスポーツの大会でいい結果を残せなくても、それで人生が詰んだり終わるようなことはないぐらいに貯金や人望もある」という余裕を持っているからこそ、慌てて逃げるようなこともなく堂々と苦手なことに立ち向かえるのだ。

苦手なことからすぐに逃げてしまう人は、逃げずに失敗すると本当に人生が行き詰まると感じるほどに追い詰められている人が目立つ。そのため、逃げて人生が詰むぐらいなら、途中で逃げてでも生き延びればいいという思考に走るのだと思う。

しかし、経済的・精神的余裕がある人は、たとえ失敗しても人生が詰むようなことはないし、失敗したところで貯金や人望を少し失うぐらいで、またすぐに復活できる。

この「すぐに復活できる」という余裕ある状態を持てている人こそ、多少苦手なことでもどっしりと構えて逃げずに挑戦できるのだ。

 

仮に失敗しようと、それを失敗と思っていない節がある

経済的・精神的な余裕があることにも繋がるが、仮に失敗するようなことがあっても、それを失敗とすら思っていないフシが見られる。

多少の上手くいかないことがあっても、どこかそれを自分のレベルアップのように楽しんでいる。多少挫折することがあっても、その挫折があるからこそ逆に燃える…という、ストレスのある状況をどこかエンジョイしているように見える。

「失敗やストレス≠逃げるもの、避けるべきもの」と安直に結びつけていないからこそ、苦手なことでも果敢に立ち向かえるし、途中で躓こうともやり遂げられるのだ。

※ただしこれは、またすぐに復活できる程度の失敗を失敗と思っていないだけである。いくら余裕のある人でも挽回できないほどの致命的な失敗が予見できれば、潔く失敗を認めて逃げるのだ。

 

自分に適度なプライドを持っている

まず、そもそもプライドが低すぎる人は難しいことに挑むだけの度胸がないので、ほぼ確実に自分のできることであれば逃げずにやり遂げられる…が、これは苦手なことから逃げない状況とは言えない。

逆に、プライドが高すぎる人は、自分を大きく見せたがるために苦手なことに挑もうとする。しかし、実力が肥大化したプライドに追いついていない&実力不足による失敗でプライドを傷つけるのを嫌がるために、結果が確定する前に途中で逃げてしまう。

そのため、苦手なことから逃げない人は、自分の今の実力相応の適度なプライドを持っている人なのだ。そして、適度な実力とプライドがあるからこそ、実力より遥かに下のことに対しては満足感を得られにくいし、苦手なことをやっても途中で上手くいかないことがあっても、そこまでプライドの傷つきは感じにくい。結果、苦手なことでも最後までやり遂げられる可能性が高くなるのだ。

 

義理堅い、人としてのスジを通そうとする気概がある

最近ではあまりこういう言い回しは聞かなくなったが、ずばり苦手なことから逃げない人は義理堅い、人としてのスジを通そうとする気概がある人だと思う。

洒落た言い方をすれば、自分の中にポリシーや美学を持っており、それを貫こうとする姿勢が苦手なことをやり遂げようとする原動力になっているのだと思う。

今や人との関係の中で義理を通すことよりも「自分が自分が」と利己主義に走って、自分さえ良ければいいという人が目立つようになってきた。

そんな利己主義な人が自分の都合で勝手に逃げることを選ぶ中、あえて人との関わりの中で義理を通す姿勢は、時代錯誤でコスパの悪い生き方と言われてしまうかもしれないが、私は少なくともそうは思わない。

効率や目先の数字に惑わされず、たとえ自分が損をしようとも人としての義理を貫こうとする姿勢は、いつの時代も美しく、尊く、そして誇り高き行動だと思う。

 

苦手なことでもできるようになろうという向上心が強い

今や仕事でも勉強でも「自分が出来ないことは出来る人に任せるのが賢くてコスパのよい選択だ」というような、苦手なことをしなくてよいもっともらしい理由が語られるようになった。

しかし、あえてその論調に逆らう人の中には「苦手なことでもできるようになろう」という向上心があるように感じる。

仕事でも勉強でも苦手なことをやり続けるのは苦痛だし、なかなか成長しない自分に対して嫌気がさすこともあろう。

しかし、その嫌気を乗り越えた先にある「苦手なことを克服してできるようになった」ことの喜びがあるからこそ、苦手なことでも続けられるのではないかと思う。

純粋に年を取れば若い頃と比べてできないことが増えていくものだ。そんななかで、自分は年をとってもむしろできることが増えていく。苦手なことでも訓練してできるようになっていく…そのことに喜びだけでなく、どこか気持ちまでも若返るような喜びがあるからこそ、苦手なことでも逃げずに打ち込めるのだと思う。