自称サイコパスアピールをする人の心理を解説する

メンタル・心理
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良心が欠如している、他人に対して冷淡、平気で嘘を付く、罪悪感がない…などの特徴を持っている人を指す「サイコパス」を自称する人は、えてして「うわぁ…」「…あっ(察し)」というようなドン引きをされる対象になるものだ。

もちろん、当の本人は社会で生きていくのが困難なほど異常者であるとか、社会不適合者とかではなく、多少素行が悪いとか自分勝手なところがあるという人間であることがほとんどだ。

しかし、あえて「サイコパスなんだ」と自分に都合よく言ってしまう軽率さに、多くの人は驚き呆れるものであり、自称サイコパスアピールをする人は次第に孤立してしまうもの出会うr。

今回は、そんな自称サイコパスアピールをする人の心理について、個人的な見解を述べようと思う。

 

 

自称サイコパスアピールをする人の心理

自分は有能な人間であると周囲に認められたい(とくにビジネス面で)

サイコパスは他人への罪悪感を感じないことから、冷酷にならなければいけない場面でその能力を発揮し、大きな社会的評価を得られるという話が有名である。

とくに、経営者のように一部の従業員に嫌われることを覚悟してでも利益を出していくことが求められる立場に憧れている人は、自らを「サイコパス」と称する傾向がある。

こうすることで、自分も社会的に成功を収められる経営者と同じ素質の持ち主であるとアピールしたい思惑があると推察できる。

つまり「普通の人なら従業員に対して情が働いてしまうような場面でも、自分は情に流されず利益のために心を鬼にできる!そんな有能な人間なんだ!」と周囲にアピールしたいがために自称サイコパスアピールをするのだ。

 

 

普段の素行の悪さを自分の短所ではなく長所であると認めたいから自称する

誤解を恐れずに言えば、自称サイコパスアピールをする人の多くは、お世辞に行儀がいいとか育ちが良いとか、常識や礼儀をわきまえているお利口さん…というタイプの人ではない。

むしろ、行儀も育ちも悪く、常識や礼儀を無視する、ただのズボラで、いい加減で、自分勝手で、わがままで、堪え性のない…そんなどうしようもないぐらいにただクズな人間であることが多い。

しかし、単純に自分がクズであると公言するのは抵抗がある。そんなときに役立つのが「サイコパス」という概念である。

上でも触れたが、経営者の中にはサイコパスな人もいるので、ただクズなひとからすれば「自分はクズなように見えて実は優秀な人間なんだ」という都合のいい思い込身が可能である。

自分のクズさをポジティブ且つ都合よく解釈できるからこそ、自分のことをサイコパスという限りなくレッテルに近いブランドで飾って自称するのだ。

自分のクズな部分は別に卑下するものではなく、むしろサイコパスという社会的に成功を収められる可能性を秘めている長所の一部なんだ、と主張したいために、あえてサイコパスを自称しているのだ。

しかし、こうした自分のクズさと向き合うのを避けるどころか、むしろ別の肩書きを借りてかなり強引な自己正当化をするところは、まさにクズそのものと呼ぶほかないのは明らかである。

 

付き合えば刺激的な人間であると周囲に知らしめたい

サイコパスを自称する人は「自分と交友関係を持てば刺激的な人間関係になるよ」と主張したいために、サイコパスアピールをしているとも考えられる。

確かに、自分で自分のことをサイコパスだと言ってしまう人は、いわゆる真面目で行儀の良い人との関係ではまず味わえないであろう、スリル溢れる人間関係が楽しめる可能性は高い。

主に金のかかる遊びや異性との遊び、場合によっては怪しい裏社会に通ずるなんやかんや…というような、怖いけど妙に興味を惹かれる関係が出来そうな人物だと想像しやすい。

ただし、たいていの人はわざわざ自分の身の安全が脅かされる関係に足を突っ込むような真似はしないものだ。もちろん、そのような危険を煽ってくるような人とは速やかに距離を置くものである。

従って、自称サイコパスな人はえてして「やばい人」「関わってはいけない人」だと思われ、自らをい孤独な生き方へと追い込んでしまう。そして、承認欲求が強まった結果、さらに自分のことをサイコパスや社会不適合者だと主張して、まるでかまってちゃんのような迷惑な態度を取ることが多いのだ。

 

常人には理解され難い魅力を持っている人物だと認められたい

とくに漫画やアニメ、小説、ドラマなどの創作物の中では、マッドサイエンティスとのように常人には理解され難い人格の持ち主ではあるが、ある特定の分野において特筆した才能を持つ人物・キャラクターが登場することが多い。

そんな「普通の人には理解されないが、実は自分には秘めたる才能や他人をあっと言わせるような能力を持っている人物であると認められたい!」という願望がある人が、時折サイコパスを自称することがある。

ただし、このケースの自称サイコパスは他人から見れば、ただ単に痛い人である。

中二病に目覚めた思春期の少年少女のように、見る人から見れば「見てはいけないものを見てしまった」という気恥ずかしさ、共感性羞恥を呼び起こしてしまう。そんな、ある意味では常人には見られない(良い意味ではない)才能を持った人物として認められる可能性が高いと言える人物である。

 

攻撃性の強い人だと示してストレス解消をしたい

サイコパスアピールをする人には、自分は他人に対して支配欲、加害欲の強い人だと主張して、ストレスを発散するために自称しているケースがある。

つまり、サイコパスという不穏な肩書きによって他人がビビったり、戸惑う姿を見ることで、自分の方が強い存在であるという優越感を得たいためにアピールしているのだ。

不良学生の力自慢、喧嘩自慢をして自分の力を誇示する行為の発展系が自称サイコパスアピールだと考えられる。

なお、現代はかつてのように腕力を振るう場面や喧嘩そのものがしづらくなった&力自慢、喧嘩自慢が恥ずかしいものとして認知されるようになってきた。その代わりに、口や態度による力自慢の一種として自称サイコパスアピールをする人が増えているのではないかと思う。