人間生きていれば大なり小なり悩みを持つものだが、中にはいつも悩みを抱えている人や、ひねくれた言い方になるが悩むことそのものが趣味みたいな人もいるものである。
今回はそんな悩み癖が抜けない人について、個人的な考察を以下にまとめていく。
周囲の人の気を引くための材料として「悩み」を使うことがくせになってしまっている
悩み癖が抜けない人は、一種のコミュニケーションのネタとして「悩みを持っていること」を利用する癖がある。
いわば「悩み」は一種の話題であり、自分の鉄板ネタである。そんな美味しい話のネタを手放すようなことは、自分の強みを手放すのと同じである。
当然ながら自ら自分の強みを手放すことはしたくないのが人間の自然な心理である以上、わざわざ悩みを解決するとか、気にしないようにするとか、考えないように生きる…という悩みと距離を置くような自己改善をする気は起きない。
結果、悩み続ける癖が強まったり、さらなる話題探し(&強みの増強)のために新たなる悩みを探してはウンウン頭を悩ますことにエネルギーを注いでしまうのだ。
なお、この手の人の気を引くために悩みを利用している人は、人に悩みを打ち明けたり相談することこそあれど、根本的に悩みを解決しようという気概が見られないのが特徴的である。
他人に愚痴るだけ愚痴って、そこでおしまい。成長や進歩が見られないために、最初のうちは「あぁ、悩みが多くて苦労しているんだなぁ」と温かい気持ちになっていた人も次第に「この人はいっつも同じ悩みばっかり喋ってて、本当に解決する気あるのだろうか?」と呆れられ見放されてしまう特徴を持っている人でもある。
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人生でうまくいかないことをすべて「悩み」のせいにする習慣が染み付いてしまっている
自分の人生がうまくいってないときに、その原因は「悩みがあるから」と片付ける人もまた、悩み癖が抜けない人の特徴である。
なお、この時の悩みというのは非常に漠然としていることが多い。うまく言葉にしにくいが「自分はなんか悩みがある…だから人生がうまくいってない」と、非常にぼんやりとした理由で、自分自身を嘆いているのだ。
このように漠然とした状況になるのは、私の憶測だと本当は自分の勉強不足、努力不足、能力不足、準備不足、人間関係への消極的な態度、他責的思考・他人への依存心の強さ…など、自分の今までの半生や人格の部分が災いして学業や仕事でつまづいているというだけという、身も蓋もない事実から現実逃避するのにたいへん都合がいいからだと考えている。
つまり「なんかよくわからないけど、自分の人生がうまくいかないのは漠然とした悩みがあるからだ」と結論づけるのは、辛いけど自分が向き合うべき現実から目をそらすのに非常に便利だから、悩みを持ち続ける状態がやめられないのだと分析している。
なお、「メンタルが弱いから○○できない」とか「自信がないから○○できない」も、「悩みがあるから○○できない」という状況と似ている。
「メンタルのせい」「自信のせい」「悩みのせい」という結論づけは、自分がよくわからないこと、理解できないこと、うまくいかないことなど、あらゆる物事をカバー出来る便利な言い訳として機能する。
しかし、その便利さゆえに考えることを放棄しただ悩むだけで止まる。なにも現実の改善につながらないことも起こりうるので要注意である。
悩みを持っていることに対して一種の優越感を抱いている
悩みを手放せない人の中には
- 「悩みを持っている人=賢い、繊細」
- 「悩みの無いひと=頭が悪い、鈍感」
というイメージを持っている人がいる。
要するに、「自分は普通の人が気にならないことでも悩みを持つぐらいに賢くと、理知的で、繊細な人なんですよ」という優越感や心地よさが手放せなくなってしまったために、悩む癖が治らないのだ。
なお、個人的な見解を述べるとすれば「悩む人=賢い」とは限らないと思う。
というのも、「悩んでいるせい」という結論づけはかなり多くの事象をカバーできてしまうために、あまり物事を深く考える能力がない人、目の前で起きたトラブルを整理して考える能力がない人でも、簡単に利用できてしまうという特徴がある。
また、私がかつて意識高い系の学生時代に明らかに頭も悪く、学業成績も悪く、でも自意識と承認欲求だけがやたらめったら高い人が、日頃の行いの悪さを棚に上げて人間関係や進路のことで悩んでいる様子を見て「頭の良し悪し関係なく、人間って悩むものなのだなぁ」と感じた経験もまた「悩む人=賢い」とは限らないと考えを強めたのだと感じている。