もはや(個人的には)胡散臭い概念になっているHSP(繊細さん)について調べていると、「エナジーヴァンパイア」という見慣れない単語を目にすることがあった。
もとスピリチュアル界隈の言葉らしく、簡単に言うと「人のエネルギーを奪う特徴を持つ人」を指すらしい。
わかりやすい例で言うと乱暴で威圧的な態度の人、精神的に依存する癖のある人、感情的で他人を振りまわす癖がある人…など、周囲の人を困らせる問題行動を起こす人がエナジーヴァンパイアであり、繊細な人にとっては天敵以外の何者でもないと説明されていた。
こう書くと、印象論になるが「HSP≠エナジーヴァンパイア」というイメージを思い浮かべる人が多いだろう。あくまでもHSPは被害者であり、エナジーヴァンパイアは加害者である。その両者の関係が「HSP=エナジーヴァンパイア」となることは無い…と普通なら考えるものだろう。
しかし、私個人の意見としては「HSP=エナジーヴァンパイア」となるケースは普通にあるように思える。とくに、HSPだと強く自認・自称している人ほど怪しいと思う。
前置きが長くなったが、今回はこのことについて語っていこうと思う。なお内容の特性上、繊細な人の心に優しく無い文章が続くので、そのことを理解した上で読む、読まないを自己判断、自己責任で決めていただければ幸いである。
弱者の立場を利用して他人を振り回す人もまたエナジーヴァンパイアである
HSPを自認・自称している人の多くは、生きづらさを抱える社会的な弱者であることが多い。仕事や人間関係でストレスを感じやすく、馴染めないことで悩んでいるような人であり、およそ社会の中でブイブイ言わせ上手に世渡りしているている人は少ない傾向にある。
そんなHSPの人の中には、自分の願望や要求を相手に飲ませる手段として、自分が社会的な弱者であることを利用することがある。
つまり、「私は弱者だから配慮してください」という姿勢で他人の良心や罪悪感を刺激し、自分に取って都合のいい対応や環境を引き出そうとするのだ。
このような弱者を立場を利用する交渉の仕方は、相手にかける心理的な負荷が強い。仮に断ろうものなら「自分は社会的に弱い人にひどいことをした」という良心の呵責を引き起こす。ほかにも「あのひとは立場の弱い人に容赦しない差別主義者だ」という風評被害を受けることもある。
そういうストレスを与えつつ自分の願望を相手に飲ませようとする行為をしてしまうと、いくら繊細で心優しい(?)と言われているHSPであっても、他人のエネルギーを奪っているエナジーヴァンパイアと思われるのも無理はない。
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なんでも受け取ってばかり、もらってばかりなHSPがエナジーヴァンパイアになる
HSPに関する情報を怖いもの見たさで追っていると、どうもHSPを自認・自称している人が増長しそうな内容のものが多く目立った。
たとえば、相性のいい人の探し方に関する動画や記事がいい例である。
その多くは「良い影響を与えてくれる人」「穏やかで受け止めてくれる人」「ポジティブな安心させてくれる人」「気遣いができる人」など、何かを与えてくれる人の特徴であったり、自分を受け取めてくれる人の特徴ばかりの情報であった。
HSPたる自分が相手に何をすべきか…というような、自分が相手に与えていい関係を作ろうと推奨するような情報は皆無。
仮にこの動画や記事を鵜呑みにした場合、相性のいい人を求めて過剰に相手に要求するようになるけど、自分からはなにも相手のためにしてあげない人…つまり奪うだけの人(エナジーヴァンパイア)になってしまうのでは?と感じた。(まぁ、流石にこれは極端だとは思うが…自称HSPが散々嫌われているのを見ると、案外極端ではないとも思えてくる)
自分をエナジーヴァンパイアだと認めるHSPは果たしているのだろうか?
基本的にHSPに関する情報のほとんどは、HSPを自認・自称している人を肯定するようなものが多い。
今や商売でHSPを扱っている人を多いことも影響していると思うが、HSPを自認・自称しているような人が好みそうな内容の動画・文章で溢れていて、より自分は「自分は繊細で優しいせいで、優しくない現実社会で生きていけないかわそうな人」という悲劇のヒロイン思想をこじらせてしまうひとも増えているように感じる。
そんな人に対して「実はHSPを自認しているあなたも、案外周囲の人を振り回していることも多いのでは?」と(オブラートに包んで)言ったところで、それを認める人はいるのかについては疑問である。
散々悪の権化として叩いていたエナジーヴァンパイアが自分だった。そんな優しくない現実に立ち向かえるほど精神的に強くもないし、未熟だからこそ、清らかで正しそうに見えるHSPみたいな概念にしがみついている。
それこそが生きづらさの原因ではないかと、エナジーヴァンパイアについて調べていくうちに思った次第である。
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最後に
私個人の意見で恐縮だが、私は「エナジーヴァンパイア」という概念、およびこの概念を知って喜々としている人が好きになれない。
もちろん、疲れるような人を嫌がるのはごもっとだし、その気持ちはわかる。
しかし、このような絶対的な悪と見ていい概念を知って喜々としている人は、どことなく品が無いというか、「まさかあなた、自分が何の汚れもやましいところもないかわいそうな被害者だと思っているの?」と声をかけてしまいたくなってしまう。
偏見になるが、こういう絶対的な悪のような概念を喜ぶ人は、なんだか人と協力して生きることを放棄していそうに思える。
「私も誰かを疲れさせているし、私も誰かに疲れさせている。まぁ、人間関係ってそういう部分があるしお互い様だよね」という姿勢に欠けているように思えて、好きになれないのだ。
余談だが、私が好きな某ドラマのセリフで「醜さを愛せ」というものがある。自分で自分を繊細で精錬潔白で正義の側の人と思っている人ほど、自分の醜さを愛する必要性があると思う。