HSPが胡散臭い、怪しいと感じる理由を語ろう

HSP
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この記事は「自称HSPの人にめんどくさい人、地雷な人が多く見られる件」の続編である。

心理学では過度に繊細な気質であり共感力の高いの人のことを「HSP」と呼ぶらしく、最近このHSPを自称する人が増えているように感じるが、正直言って私はこの概念そのものが胡散臭いと感じている。

何か新手の似非科学や自己啓発のために、かなり強引に提唱された概念であるようにも見える。また、何か「繊細であること」を一つのテーマにして、生きづらさを抱えている人相手を癒すようなビジネスをしたい人が、HSPという概念に群がっている…そんな気がする。(もちろん、私の考えすぎかもしれないが)

今回は、そんなHSP界隈に感じる胡散臭さについて語ろうと思う。

 

医者が書いたHSPの本に「スピリチュアル」という言葉出てきて違和感

私はかつて書店で本を眺めている時に、自己啓発系の本棚の近くにあったHSPに関連する書籍を目にした。その本は日本の医師が書いている本らしく、興味本位で読んでみたが、その内容の中に「スピリチュアル」という単語が登場していることにまず驚いた。

もちろん、単語だけ見て判断するのは早計なので、実際に読んでみたが、内容はスピリチュアルについてやや肯定的に説明しているものであり「世の中には色んな医者がいるものだなぁ(白目)」という気持ちになった。

他にも、その本の中にはマインドフルネスやエナジーバンパイアなど、スピリチュアル界隈を想起させる概念、電磁波とHSPに関する記述などが書いてあり「なかなかに攻めた内容の本だなぁ」と思うと同時に、「HSPは胡散臭いと感じさせる要素が入り込みやすい概念だなぁ」という感想を持つようになった。

 

HSPのカウンセラー・資格に感じる資格商法の雰囲気

ネット上では「HSPに関するカウンセラーの資格を持ってますよ」とプロフィール欄で堂々と書いている人が何人か見たが、その資格のどれもがお金を出せば簡単に入手でいる類の、信ぴょう性が乏しい民間資格であった。

数万円払って、短期間のレッスンを受けて、それも試験も要らずに簡単に取得できてしまう資格に、一体なんの権威、効果、信ぴょう性があるのだろうか。そんな気持ちが抑えきれなかった。

また、HSPのカウンセラーの資格を持っている人の中には、聞きなれないスピリチュアル系の資格を持っている人や、自称お悩み相談のベテラン、潜在意識をサポートする云々かんぬん、自称○○心理学の第1人者…など、常識と良識に照らし合わせても、どうも信用できない類の肩書きを名乗っている人が多く見られ、このことがHSP界隈への胡散臭さを募らせた。

 

HSPという概念を使ってなにか金儲けをしたい、承認欲求を満たしたい人が目立つ

こうした胡散臭さの根源には、理由はよくわからないけど今話題になっている「HSP」という概念にあやかって自己啓発セミナーやコンサルなどの業種で一儲けしたい人の存在や、流行の「HSP」という概念に乗っかってその界隈での有名人・著名人になってチヤホヤされたい人たちの存在があると感じる。

当然、HSPを自分の利益のために用いることを目的としている人にとって、HSPの信ぴょう性を疑うような真似はしないものだ。もし疑うような真似をすれば、HSPの流行に乗って得られる利益を自ら手放すことになる。ビジネスでやっている以上、そんな真似はまずしないものだ。

また、HSPな人としてブランディングするにしても、自らHSPの概念を疑うような真似をするのは、自分で自分のブランディング戦略を根底から否定することになる。

そのため、HSPを使って何か一儲け&目立ちたい人は、基本的にHSPに対して否定的・懐疑的なポジションを取るような真似はせず、あくまでもHSPを薄く広く、そして都合よく知ってもらうための広報活動&自身の宣伝活動にのめり込む。

おまけにHSPは(一応今のところは)心理学の分野の概念であり「(内容はともあれ)論文が出てる!」といえば、鵜呑みにしてしまう人も少なくない。(某メンタリストの動画のように)

科学の権威を盾にしてビジネス展開を行いやすい概念なので、胡散臭い人からすれば、これまでに例を見ないほどに「HSP=金のなる木」に見えているのではないかと思う。

しかし、その姿勢は学術的な研究対象としてHSPを見る人からすれば、違和感を抱く光景といえよう。

 

我が子の発達障害を認めたくない親に妙に心地よいHSP(HSC)という概念

最後に、子供のHSPのことをHSCと呼ぶらしいが、私自身これに対して強い不安を覚える。

もちろん、子供とその親が胡散臭い人に唆されることへの不安もあるが、それと同時に親自身が発達障害を認めたくないために、耳障りの良いHSP(HSC)という概念の方を信奉する。そして、標準的な医療や公的機関の支援を拒絶してしまい、子供が抱える問題が解決されなくなる恐れがあるのではないか…と懸念している。

HSPの特徴の中にある繊細さから来る過敏さは、発達障害の人にも見られる特徴である。しかし、発達障害と聞くと「障害」という言葉に引っ張られてどうも否定的な印象が強い。子供自身に障害の重荷を背負わせることに抵抗を感じる親もきっと多いことだろう。

 

しかし、そんな発達障害の疑いがある子供が、もしもHSPだと思えるようになったとしたら…どうなるだろうか?

ただの一般人である私の持論だが、発達障害が重くのしかかる影だとすれば、HSPは輝きに溢れる光である。繊細で共感力も高く、それでいて才能に溢れている…そんな、希望を抱かせてくれる耳に心地よい概念のように思えてくるため、我が子の将来を案じている親は「この子は発達障害ではなくHSP(HSC)だ」と考えて、標準的な医療・支援から我が子を遠ざけてしまうる。

こういう、標準医療から遠ざける土壌を作っているように思われてならないことが、HSPに感じる胡散臭さの中でも、とくに罪深く厄介なものだと感じている。