「楽に生きる」ブームの悪い点、問題点について説明する

社会・国際
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HSP(繊細さん)や自己肯定感、自分軸・他人軸、セミリタイアやFIRE(経済的自立と早期リタイアの意)が話題になりだしてきた頃からだと思うが、「楽に生きる」ことを主眼にした情報を見聞きすることが増えたと思う。

先行き不透明な将来を悲観するぐらいなら、この手の楽に生きるブームに乗った方が精神衛生上は好ましいことだろう…が、しかし、個人的にはこの楽に生きるブームに流されることはあまり良いものだとは思わない。

言い方は悪いが楽に生きようとした結果、社会の底辺に堕ちる可能性があると感じる。

今回はこの楽に生きるブームの負の側面について解説していこう。

 

安易で流される生き方を選んでしまい底辺に堕ちる

底辺に堕ちる理由は、他人の言うことに流され自分の頭で考えることも勉強をすることもせず、安易な方にまるで転げ落ちるかのように生きてしまう…これを、楽な生き方だと捉えてしまう可能性があるからだ。

たしかに自分の頭で考えず、ただ人の言うことを聞いて流される生き方は、頭を使わないので楽ではある。

また、他人の言うことに従うことは何かあっても他責思考で簡単に片付けて納得することができる。自責で考える労力や、自分で責任を負うという精神的負荷も無いので、楽な生き方ではあろう。

しかし、このような生き方は言うことを聞く人次第では自ら社会からドロップアウトして、人から搾取されるような底辺層に堕ちるようなことになる可能性があるからこそ、個人的には良いとは思えないのだ。

余談だが、セミリタイア、FIRE、フリーランス・退職からの独立を進める胡散臭いインフルエンサーが「努力なんてしなくていい、ほどほどで気楽に生きていけばいい」という芸風で楽な生き方を肯定する情報発信をしているのを見ると、「楽な生き方の行き着く先は安易な生き方であり搾取される生き方だ」と私は強く感じる。

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自分の将来を他人任せで他人依存なものにしてしまう

とくにセミリタイアやFIREといった、楽な生き方の代表例の情報を強く求める人に顕著なのが、自分の将来を他人任せにしてしまっている。あるいは他人にまるっきり依存するかのような姿勢を取ってしまうことだ。

楽な生き方とはいえ、その生き方の責任を負うのは自分である。つまり、楽な生き方をして不利益を被ったとしても、最終的には自分でその不利益の始末をしなければいけない。

それを分かっていないのか、どうも楽な生き方情報に熱心になる人は、自分の人生を他人に丸なげしてしまっている。

まぁ、他人の人生や生き様に対してとやかく言うことじたい大人げないことだとは思うが、そんな自分の人生を生きていない生き方は”楽”かもしれないが”楽しい”かと言われれば疑問を感じてならない。

 

 

他人から感謝されず、尊敬もされず、役立っていると思えなくなり虚しい生き方になる

これは私の持論だが、楽な生き方をしようとした結果普段の仕事も生活もだらしなくなる。

そんな努力を自ら放棄するような生き方では、仕事でもプライベートでも感謝されることもなければ、尊敬されることも当然減るし、むしろ自分が誰かの役に立っていないことに対して虚しさのようなものを感じてしまう。

つまり、楽な生き方の行き着く先は気楽になるどころかむしろ焦燥や虚しさに苦しめられる日々が待ち受けていると思うのだ。

 

…まぁ、これは極論だとは思うしそこまで堕ちることも稀だとは思う。

しかし昨今の自粛生活を経て、だるくてめんどくさい仕事を通して誰かに感謝されたり役立っていると感じることが、いかに尊く素晴らしいものだったのかと気がつかされた人は、意外に多いのではないかと思う。

面倒事をこなすのは、たしかにめんどくさいし気分も沈むだろう。しかし、その面倒事から逃避した先にある虚しさと孤独、不安や焦燥に比べれば、まだ面倒事に立ち向かっていた方が気持ちが晴れやかなのだ。

 

 

最後に 怠惰を求めて勤勉にいきつく生き方について

最後にだが、私なりに考える楽な生き方は「怠惰を求めて勤勉にいきつく」ことだと思う。これは麻雀漫画「勝負師伝説 哲也」に登場する言葉である。

楽な生き方とは、ただ怠惰を極めることではなく、むしろ「どうしたら要領よくこなせるか」を勤勉に考え続ける事こそが正しい。

たとえば今の雑務を楽にこなしたいがために、新しい勉強を学んで早く片付ける術(エクセルスキルとか)を獲得する…というような姿こそが楽な生き方である。

 

しかし、そういう楽な生き方はウケが悪い。とくに、日頃自分の無能さを自覚してストレスがいっぱいな人には尚更ウケが悪い。

それよりもなんとなくストレスがなさそうで安易でだらけられそうな情報の方がウケがいい。そういう情報を「楽な生き方」と称して発信しているのが現状だと思う。

 

 

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