親ガチャで「当たり」だったと思う理由について

社会・国際
この記事は約4分で読めます。

この記事は「親ガチャで「当たり」だった身として思うことを語る」の続編である。

親ガチャで当たりと言えば、大体は…

  • 家が裕福(=貧乏ではない)
  • 勉強熱心で受験・進学に意欲的(=学歴を得やすい環境である)
  • 家族の仲が良い(=DVや暴力・虐待とは無縁)
  • 両親がちゃんといる(=片親ではない)

などが「当たり」の特徴でしてあげられるだろう。

しかし、私個人の意見ではそれ以外にも「当たり」と感じる部分が、自分の過去を振り返って割とあると考えている。今回はそのことについて語っていこうと思う。

 

受験や学校の勉強以外の勉強・教育に対して熱心

いわゆるお受験のための塾通いや学校での勉強(座学)以外のことに関しても、とても教育熱心だったのが我が家の特徴である。

たとえば食事中のマナーについては、小学生になって学校給食が始まるときには厳しく躾られたのを覚えている。

お箸の正しい使い方から始まり、お椀の持ち方、食べる時の美しい姿勢、クチャラーをしない、骨の多い魚(鯖や鰯・秋刀魚など)の綺麗な食べ方、割り箸の袋の端を折る…など。いわゆるエチケットやマナーに関する教育も熱心であった。

なお食事中のマナーの他にも、

  • 脱いだ履物を揃える。
  • 窓ふきの後に掃き掃除をする。
  • 洗濯物の綺麗なたたみ方。
  • 挨拶をしっかりする。
  • 普段の姿勢をしっかりする(=猫背の禁止)。
  • 綺麗な文字を書く。

など、直接受験や学校の勉強とは関係ない事柄についても教育熱心であった。いわゆる「育ちの良さ」に繋がる事柄をしつけることに熱心だったのだと見ている。

こういう当たり前のことが当たり前に出来るように徹底されたことは、大人になって今でも染み付いている。そして、「当たり前のことが出来る」ということで周囲の大人から(おもに仕事の場面で)良くしてもらうことは多かった。

 

家の手伝いをさせることに熱心

私の家ではたとえテスト前や受験のときであろうと、子供に対して家の手伝いをさせることを欠かせなかった。

両親共働きだったので子供が家事の一部を担うこと自体は別に問題ないと思うし、家事に追われて勉強が疎かになるようなこともなかった。(というか、要領が悪くなるよう手伝いのやり方であったらすかさず親が指摘してきた。)

ちなみにお手伝いの内容は、

  • 掃除全般。なお、多かったのは水回り。
  • 家族全員の洗濯物を畳む
  • 近所の店におつかい(おもに食材がメイン)
  • 親の体のマッサージ(肩たたきから整体みたいなこともやった)
  • 料理(ご飯を炊く…のようなシンプルなものではなく、家族全員の夕飯を作ることもあった)

などであった。

ちなみに私は男性であるが、男性だからといって料理させないし厨房に入るべあらず…というような価値観を持っているわけではなく、むしろ「男だろうと料理はできるようになるべき」という教育方針であった。(なお、料理は母親が教育担当。父の出る幕は無かった)

このような手伝いが当たり前だったおかげか、一人暮らしはとくに苦労することはなかった。学力やマナー能力以外にも、生活力を身に付けるという教育が充実していたことは、私なりに親ガチャで「当たり」だったと思う理由である。

 

家族全員が心身ともに健康で大病・怪我とは無縁

私の家族は基本的に心身ともに健康で大病や怪我とは無縁であった。

もちろん、肥満気味、血圧が高い、腰痛というような加齢に伴う体の悩みこそあったものの、それ以外で入院や頻繁な通院を伴うようなことはなかったし、私もまた(親の遺伝もあると思うが)病弱な子供ではなかったことが「当たり」だと思う理由である。

また、後述する親族・祖父母も同様に基本的には健康であり介護を必要とするような状態ではなかった。

私自身まだ親が若い頃に生まれた子供であり比較的家族・親族の皆が若くて体力があった。こればかりは親ガチャというよりは、本来であれば第三次ベビーブームが起きる頃(1990年あたり)に生まれたのがラッキーだった…表現したほうがふさわしいかもしれない。

 

近所に親族・祖父母がいて仲も良好&近所にいた

私個人的には、親ガチャを語る上では祖父母・親族との関係は切っても切れないと思う。

私の家庭は核家族であったが、割と近所に祖父母と親族がいて仲も良好であった。小学校低学年時は鍵っ子(死語)にならないように祖父母の元に行くことも多々あり、祖父母の間で年の離れた大人との付き合い方について体で覚えることも多々あった。

なお、祖父母も学校の勉強以外に対する教育は熱心であり、言葉の使い方(例:「俺」というの禁止など)や、きれいな文字の書き方、目上の人への挨拶の仕方、仏壇のお参り作法などを躾られた。

また親族との関わりも割と多く、親と同じ年頃で且つ親とは別の大人と上手く接する術を学ぶことも多かった。

自分で言うのもアレだが、年上の方とのコミュニケーションに物怖じしないのは親族・祖父母との関係がよかったことが起因していると思う。

 

最後に

割と当たりである親ガチャについて唯一気がかりなのが、ガン家系で男が割と短命なことである。

両祖父とも晩年はガンで入退院を繰り返し、どちらも60代で他界。一方で両祖母はこの記事を投稿した時点では介護の必要性はなく、平均寿命に届くぐらい長生きである。

まぁ、こればかりはガン治療の発展を願うことぐらいしか私にはできなさそうだろう。