承認欲求を満たす事優先で絵を描いている人の特徴について

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ネット上で自分の好きなイラストを描いて投稿している人…つまり、絵師や絵描きの人にとって自分の作品、ひいては作品を描いた自分自信が認められることは至高の喜びであろう。

私自身クリエイティブ職で且つ絵に関わる仕事をしているためか、承認されることを何よりの喜びとして絵を描く事に勤しんでいる人をよく見かける。好きなことで仕事ができて、且つ多くの人から認められるというのは、実に気持ちがいいものだろう。

だが、一方でうまく説明しにくいのだが、どうも絵に心がこもっていないというか、あくまでも「認められたい」という気持ちが先にあり、その承認欲求を満たす手段として絵を選んでいる‥という人もたまに見かける。

誤解を恐れずに言えば、絵が好きなのではなく、認めてくれる瞬間が好きでそれを手に入れたいから描いている、というスタイルで活動している人だ。

今回はそんな承認欲求が先にくるタイプの絵描きについて、説明していく。

 

描く事が好きだからではなく、注目されたいから絵を描いている

冒頭でも述べたように、絵を描くことが好きだとか趣味だとかいうわけではなく、あくまでも多くの人から注目を浴びたり、SNS上で拡散され「いいね」などの評価を受ける事の方を優先している。

つまり、承認欲求を満たすことが第一であり、その手段として絵を描くことを選択しているのが特徴的である。

ただ、絵描きの世界ではこのような「好き」のような感情、場合によっては情熱のようなものよりも、ただ手段として絵を描いて評価を得ることを主眼としている人はどうしてもウケや印象が悪くなりがちである。

これは憶測になるが、絵を描くことは趣味や好きな事であり、それをあくまでも個人的且つ世俗的な欲求を満たす手段としてみなす人は、清廉さがなく薄汚く、場合によっては下品な印象で見られやすい。

絵の世界に携わる人は、あくまでもそういった世俗的なもの、個人的なドロドロとした欲望とは無縁のものであってほしい…という願望を持つ人が多く占めているせいか、承認欲求が先にくる絵描きは実力があってもそのことを悟られないように「自分は好きなことで生活できてますよ~」という芸風で表に出てくる。

 

余談だが、実力・実績はあるがあまり承認欲求がない絵描きは、自分からメディアに出たりネット上に顔出しで活動するなどの自分を前面に押し出す活動はしない傾向がある。

そうなるのは、純粋に作品作りに時間を費やしたいからというのが大きな理由なのだが、下手に実力があると、その分悪目立ちして不要なリスクを抱えてしまう可能性があるからこそ、あくまでも作品がメインで絵描きである自分は裏方として活動するのだ。

 

承認されることを求めているので効率・コスパ主義に陥りやすい

承認が先にくる絵描きは「絵が好きだから地道に練習してうまくなろう」という思考ではなく、「手っ取り早く承認されるために効率よく練習しよう」という思考になりやすい。

つまり、合理主義・コスパ重視の考え方に陥りやすいのだ。

もちろん、練習に効率を求めること自体は別に問題ない。しかし、効率を求めるやり方を意識しすぎると、たとえば…

  • 同じ構図ばかりになり、描けるもののバリエーションが乏しくなる。
  • 線がヘロヘロだったり、ブチブチ切れていたり、荒く雑っぽさが残り残念な感じになる。
  • キャラクター表情のパターンが少ない、あるいは短調すぎて印象に残りにくい。
  • 「とりあえず全体的見栄えが良くなりゃいいだろ」精神になり、ぱっと見は整っているが細部の雑さうまく隠せてない絵が仕上がる。

など、引き出しの少なさや、描き慣れてなさ、薄っぺらさが分かる人には分かるようになる。

場合によっては「この人本当はあんまり描くこと好きじゃないのかな?」と見透かされるような絵になってしまうこともある。

 

身の回りの出来事をすべてエッセイ(誇張を含む)にする傾向がある

一枚絵ではなく漫画を投稿することで承認を見たそうとする人は、身の回りの出来事をすべてエッセイにして投稿し、それで「いいね」や拡散を獲得しようとすることもある。

しかし、この時投稿されるエッセイは当然ながら現実をそのまま描いているのではなく、漫画として面白くするために誇張された内容を多分に含んでいる。

また、エッセイ漫画の宿命として自分の中で描けるネタが尽きると、次第に周囲の人を勝手に巻き込んだり、内容をさらに過激に誇張した漫画で承認を得ようとすることがある。

余談だが、ネタが尽きかけた人は傾向として品性が欠落していくというか、気品がなくなるというか、次第に俗っぽさに磨きがかかることがある。承認欲求に飲み込まれると人間はこうも醜くなってしまうのものなのか…と思い知らされる。

 

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伸び悩むと絵が上手くなりたい人、初心者層にアプローチし出して承認欲求を満たすようになる

承認欲求が先にくる絵描きは、そもそも承認される方法やコツばかりに着目して基礎的な練習が疎かになりがちであるため、技術面で停滞することがよくある。

また活動を続けていくうちに「この人、あまり成長しないな」と思われて以前より評価を獲得しにくくなることもよくある。

そういう場面に陥ったときに、心を入れ替えて絵の技術を磨くよりも、今ある技術を利用して初心者層にアプローチし、そこで承認欲求を満たそうとすることがある。

つまり、実力は中途半端なくせに教えたがる…という、あまり関わりたくない人になってしまうのだ。

 

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最後に

絵かきに取って承認欲求は避けて通れない課題であろう。

私個人の持論としては承認欲求は安易な方法で満たそうとしてはいけない。あくまでも時間をかけてゆっくりと満たしたほうが、毒になりにくいと考えている。

つまり、基礎的な練習をおざなりにせず修練に励み、技術を身に付け磨くこと。そして、技術を身につけていくうちに気が付けば承認欲求に対する囚われが小さくなっている…ということが起きるものだし、私はこのパターンだった。

まぁ、こういうスタイルは時代錯誤かもしれないし、ネット全盛の今では少数派でウケないと思うが、ウケないからといって試さないのはそれはそれでもったいないと思う。