漫画が読めないようになってきた理由の考察

クリエイター関連
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娯楽の色が強いクリエイティブ職にあるまじきことだが、近年私は漫画を読むのがなんとなく難しくなってしまい、気が付けば買った単行本(電子版含む)を数十冊単位で積み上げるようになってしまった。

一応補足だが、子供の頃から漫画に慣れ親しんでいるので、漫画という本の読み進め方や楽しみ方がわからないから読めない…という状態ではない。むしろ、子供の頃は長編、短編関係なく読んでいたし、ファンタジー、バトル、スポーツ、ギャグ・コメディといった少年誌によくあるジャンルの漫画を読んでいた。

高校・大学以降はドラゴン桜、二月の勝者、カイジ、ナニワ金融道、闇金ウシジマくんのような(妙な偏りがあるのは自覚しているが)硬派な作品読むような人であったが、最近になってまるっきり漫画を買っても読まないという状態が続いている。

今回はそんな私自身の漫画が読めない状態について原因を考察してみた。

 

 

短時間で済む娯楽に慣れた結果、漫画を読むのが退屈になってしまった

現代では漫画以外の娯楽…それも、スキマ時間程度の細かい時間を効率よく楽しめる娯楽には事欠かなじ時代である。

その多くはスマホを用いた娯楽である。スマホのゲームやyoutubeをはじめとした動画など、これらのコンテンツはいわゆるよくある漫画と違って、短時間且つ効率的に楽しめてしまうものだ。

スマホゲームはスキップ機能や倍速機能のおかげで、単純作業になりがちな周回要素をサクサク進められる。youtubeだと動画の再生速度を変えれば、6分の動画を3分にまで縮めて楽しむことも可能だ。

スキマ時間ですらも無駄にしない。むしろスキマ時間を効率的に使わせるような仕組みが、スマホの中の娯楽には数多く存在している。

このように、現代では従来以上のスピードで娯楽を消費できてしまう時代であり、私もその流れに随分と流されてきたと自覚している。

そのためか、漫画のように再生時間に当たるものを調整できない娯楽は、非常にもどかしいもののように感じてしまう。結果、漫画という娯楽よりもより短時間で効率よく満足感が得られる娯楽の方に気持ちが揺らいでいるのではないかと見ている。(まぁ、かき集めたスキマ時間を計算すれば漫画一冊ぐらい読むのに十分な時間になるのだけれども)

 

受動的な娯楽ではないので読むためのハードルが高い

スマホで手軽に楽しめる娯楽にも言えることだが、漫画は「さぁ読むぞ!」とか「とりあえず読むか」という能動的な姿勢が求められる娯楽である。気合の入れ方に差はあれど、いずれにせよ「読もう」という、自分自身の意志が重要な娯楽である。

一方でスマホゲームやyoutubeのような動画は、そこまで能動的にならなくても済む娯楽である。つまり「とりあえず環境音程度にテレビを流しておくか」程度の軽いノリで、そして受動的に楽しめる娯楽である。

短時間で効率よく&受動的に楽しめる娯楽に染まってしまったと考えれば、漫画のように短時間で効率よく…とは言い難く、それでいて能動的な姿勢を求められる娯楽に抵抗を示すようになるのも無理はないだろう。

余談だが、私は漫画原作のアニメやドラマであれば問題なく楽しめているので、すっかり受動的な娯楽を慣れ親しむようになったのだなぁと感じている。いわゆるこれが「老い」であろうか。

 

 

ストーリーや独特の世界観が強い作品を楽しめなくなってしまった

漫画の中でも特にストーリーに比重が置かれている作品や、独特の世界観が強い作品に対しては、なんとなくだが子供の頃と比べて気乗りしなくなってきたと感じている。

ジャンルで言えば、ファンタジー(バトルもの含む)、SF、異世界転生のような、なんの予備知識もなく読むと楽しむまでに時間のかかる作品である。

子供の頃であれば、こういった空想・想像の世界のような雰囲気を漂わせている作品に胸を躍らせていたものだが、もういい年したアラサーなのも影響してか、こういった趣向の作品が巷で流行っていたとしても、あまり見向きをすることはなくなってしまった。

その代わりに、現代が舞台の作品(シリアスものも含む)やギャグ・コメディのように、それほど予備知識を必要としない作品や、そもそもストーリーにそこまで重点が置かれておらず、キャラとの掛け合いや関係性を楽しむ作品、現代社会における知識や知恵を得られる作品については(積ん読こそしているが)比較的読みやすいと私は感じている。

特に、ナニワ金融道のように勉強にもなる作品は、読むのがめんどくさいと思う一方で「今読んでおかないと、将来えらい目に遭うかもしれない」という危機感や恐怖に突き動かされて読んでいるフシもある。まぁ、娯楽を楽しむのに不安感情を利用するの我ながら皮肉だとは思うが…