アウトプットができない病にかかっている人の特徴を解説する

自己啓発・意識高い系
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自己研鑽や趣味の充実のために、何かしら勉強(=つまりインプット)してはいるのだが、どうも学んだ知識をアウトプットする段階で手が止まってしまう。

最悪の場合は、アウトプットすることそのものから逃げるが、それでも焦燥は消えず、焦る気持ちを鎮めるためにインプットにのめり込む…という状態に悩まされている人を、この記事では便宜的に「アウトプットできない病」と呼ぶ。

今回は、このアウトプットができない病にかかっている人の特徴について、個人的な見解を述べていこうと思う。

 

「アウトプット=自分の実力を他者から評価される」と認識して尻込みしてしまう

アウトプットできない病の中でもとくに多いのが「アウトプット=他人から自分を客観的に評価される」と考えている人だ。

とくに、自己研鑽に励むものの、客観的に自分の実力がどの程度であるかを知ることを怖がっている人は、アウトプットを忌避したがる傾向が強い。

…と説明しても、ピンと来ない方もおられるかも知れないので、受験勉強を例に説明してみる。

インプットとアウトプットはそれぞ、

  • インプット=受験のための勉強
  • アウトプット=受験そのもの、あるいは模試

と考えてもらえばいい。

インプットしている間は、上の例を元に考えれば受験のために勉強をしているだけである。その時点で自分の偏差値、志望校への合格率などが可視化されることはない。

しかし、受験や模試となれば、合否のような明確な結果が出る。そのほかにも、自分の偏差値や合格する確率の見込み(A~E判定など)、同じ受験生間との立ち位置などが数字で可視化されてしまう。

もちろん、志望校に合格できるような人や、模試でそれなりに満足できる数字を出せる人ならいいのだが、不合格になる人や満足できない結果が出る確率が高い人にとっては、アウトプットの場は自分の実力の無さを多くの人に露呈させ、傷つく場面のように感じてしまう。だから、アウトプットを避けるようになってしまうのだ。

 

アウトプットできない苦痛を解消するためにインプットに逃げる理由

上からの続きになるが、アウトプットに苦痛を感じてしまう人の中には、アウトプットの場面を避けてひたすらインプットに逃げてしまう人がいる。

もちろん、これはアウトプットの場で身の程を知るのが怖いことが影響しているが、一方でインプットしている間は自分の客観的な実力は未確定であるため非常に心地がよい。だからこそ、インプットにのめり込んでしまうのだと分析している。

ただし、これは自分の実力を知る場面を自ら避けるのと同じであるために、まるで子供のような万能感を肥大化させてしまう要因にもなりうる。

客観的な実力を知ることは、言い換えれば自分の得意不得意を知り、今後どのような勉強をしていくかを知る大事な場面でもある。

しかし、客観的な実力を知る場面を避け続けてしまえば、見た目は大人になったのに精神は子供のように未熟な状態になってしまい、社会生活を送ることが難しくなってしまう恐れがある。

 

余談だが、この手の人は傍から見ると勉強熱心に見えるのだが、関わり続けるにつれてなんとなく違和感を覚えてしまうことがある。

まるでスポーツの試合のために練習しているのではなく、練習のために練習をしているように思えてしまうことが、違和感の正体なのだろうかと私は考えている。

 

 

そもそもアウトプットに必要な基礎学力がないのでアウトプットが苦痛になる

身も蓋もないことだが、そもそもアウトプットをするのに必要な基礎的な学力がないために、アウトプットに苦痛を感じてしまう人もいる。まるで暗記科目はできても小論文や作文ができない…というタイプの受験生のようである。

また、国語力がない人がブログやyoutubeでアウトプットをしようとして挫折するケースは、この手のタイプが多いように思える。

なお、国語力と書いたが、私は具体的には以下のようなものがあると考えている。

  • 自分で文章を練る
  • 適切な言葉を選ぶ(=語彙力)
  • 文章の構成を考える
  • 述べたいテーマに必要な材料の集める&取捨選択する

ちゃんと勉強してきた人には信じられないかもしれないが、自己啓発本やyoutuberにハマって「アウトプットしなきゃ」と意気込んでいる人の中には、壊滅的に基礎学力が足りていない人が割と多いものだ。

当然、そんな人に「アウトプットできないのは学力が問題では?」と言えば炎上なり喧嘩が発生するのは容易に想像できる。まともに勉強してきた人は、この手の基礎学力に問題がある人と関わるような真似はしなくなるので、壊滅的に基礎学力が足りてない人は、いつまでも学力不足を自覚しないままになる確率は高いと感じる。

 

 

SNSのせいでアウトプットへの心理的ハードルが高くなっている可能性について

最後に余談だが、SNS…というかインターネットの影響により、アウトプットに対する心理的なハードルが高くなっていることについても触れておきたい。

今や、勉強、仕事、芸術、スポーツ、美容、娯楽・エンタメなど、あらゆる分野において、ネットで調べればその道のプロやトップ層を簡単且つ大量に知れる時代である。

これは言い換えれば、ネットで何かアプトプットしたい人からすれば、どんな分野でも「トップ層と比べて自分はしょぼい」という屈辱や挫折に悩まされるという時代になったことともいえよう。

ある意味、ある分野の初心者が井の中の蛙で居続けることすら、今のご時世だと難しい。嫌でもネットという大海原に引きずり出され「やーい、お前は井の中の蛙じゃねーかw」とコメントされてしまう光景も容易に想像できる。

ネットは自由に自分に関する情報を発信できると同時に、このような残酷な一面も持ち合わせている。

だからこそ安心してアウトプットできる場所として、(どことなくカルト宗教じみたものもあるが)オンラインサロンなどのクローズドな場所が人気なのも頷ける次第である。