「短所は直さなくていい、長所を伸ばすべき」論の問題点を語る

自己啓発・意識高い系
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意識高い系や自己啓発、ビジネス書に慣れ親しんでいる人なら、一度ぐらいは「短所を直すのはコスパが悪い。徹底的に長所を伸ばすことこそが重要だ!」という話を見聞きしたことがあるだろう。

もちろん、この話が当てはまる人もいるだろう…が、私個人の意見としては、この話は鵜呑みにしてはいけないと強く思う。とくに、意識高い系の人や普段からうだつの上がらないことで悩んでいる人であれば尚更だ。

今回はそんな「短所は直さなくていい長所を伸ばすべき」論の問題点について、語っていこうと思う。

なお、この記事はあくまでも仕事をしている人、あるいは仕事の場面を想定して書いているが、もちろん、それ以外のプライベートな場面でも当てはまるので参考になれば幸いである。

 

 

明らかに致命的な短所の場合はいくら長所があっても失敗する原因になる

私が思うに、短所と言ってもその内容は様々である。しかし、その短所がたとえば明らかに仕事において致命的になりうるもの(例:対人能力が無い、計画性が無い、主体性が無い、ストレス耐性がない、礼儀がなってない)の場合、いくら長所を磨いたところで、短所が致命傷となってしまうのだ。

実際問題、仕事の多くは自分一人で完結するものではない。どんな形であれ他人が介在するものであり、その他人から見て「この人のこの短所のせいで働きにくいなぁ」と思われれば、いくら長所があっても仕事が回ってきにくくなるものである。

これは私がフリーランスで且つ絵に関する仕事をしていることも影響していると思うが、絵に関する仕事はなにも独創性や技術力で一点突破できるほど甘くはない。

もちろん、例外的にそれらで一点突破している人もいるにはいるが、多くの場合は他業種と同様に対人能力なり、計画性なり、主体性なり…といった、いわゆる一人で黙々と絵を描く人が苦手としがちな人と協力して物事を進めるのに必要な能力(=社会性と言っていい)をちゃんと持っているし、それがないと信用が得られず仕事にならない。

そういう光景を見てきているからこそ「短所や弱点を克服するのは無駄、長所を尖らせよう」という意見に対しては否定的な見方になるのだ。

 

そもそも例外的なケースを一般化して自分に当てはめる思考の癖に問題がある

上でも触れたが、例外的な事例として短所を克服せずに長所を伸ばすだけで成功している人はいるにはいる…が、あくまでもそれは例外的な事例である。

その事例をまるで自分にも当てはまるかのように捉えてしまう思考の癖こそ、失敗を生む原因になりやすいと私は考えている。

そもそもこの手の一発逆転を想起させるような情報を集めているサイトや書籍は、冒頭でも述べたが普段からうだつの上がらないことで悩んでいる人を想定読者としていることが多い。

つまり、そういう人たちが見聞きして心地よい言葉だからこそ、積極的に扱っているだけに過ぎない…というマーケティングの産物の結果なのだ。

 

強いて言うなら長所もあるけど短所のせいで人に余計な負荷を与えていることに気づけるかどうかが鍵

そんなうだつの上がらない人が「短所克服よりも長所の特化」みたいな情報に毒されて起きるのが、「自分は短所もあるけど長所もあるから大目にみてよね」と開き直ってしまうことだ。

なお、長所と言っても、そもそもうだつが上がらないので組織内で一番‥というものではなく「まぁ、かろうじて長所だよね…組織内で一番ではないけど」というものになる。

そんな状態の人が開き直ろうものなら、組織内であまり良くは見られないだろう。ましてや後輩や新人がそうやって開き直る先輩に毒されてしまうことを恐れている先輩社員や経営者は、まともな職場であればあるほど多くなる。

そこで私が提案したいのが、仮に短所の克服を諦めるとしても、「自分の短所のせでいつも迷惑かけてすみません。皆さんには感謝しています。」という態度を取ることだ。

何度も言うが、仕事では他者との関わりを避けて通れない以上、自分さえよければいいというような態度が好感視されることは稀である。周囲と協力する姿勢であったり、助け合おうという姿勢を持つことこそ、うだつの上がらない人にとっては地味ながら重要なことであろう。

 

 

最後に

「短所克服よりも長所の特化」みたいな自己啓発の情報には致命的な弱点がある。

それは自己啓発であるがゆえに自己のみで完結してしまい、他人との関わりを無視して思考が染み付いた、勘違いの意識高い系人間が出来てしまうことだ。

自己啓発にはまった人が段々周囲の人から敬遠されて、同じく自己啓発に染まった人同士でしか関係を構築できなくなるのは、他人との関わりを無視する思考の癖が強まった結果、同じような「自分が自分が」と自分しか見えない人としか話が通じなくなるからである…と私は分析している。