勉強が好き…という人よりは、むしろ勉強が嫌いな人の方が多いとは思うが、そうは言っても社会人として生活していくためには、座学や読書や研修、講習、OJTなど、あらゆる形で勉強をしていき、自分を成長させていくことが重要であるし、私も勉強していくことでなんとか今のフリーランスの生活を成り立たせているという自覚はある。
今回は、そんな社会人としてあらゆる勉強をしてきた中で感じた、勉強嫌いな大人の特徴について、個人的な見解を述べさせていただく。
勉強嫌いな大人に見られる特徴
自律心がない、自分に甘い
まず、勉強嫌いな大人は、自分で自分を律することができない。要は自分に甘い。
やるべき仕事や勉強のために、意図的に自分に負荷をかけるということはもちろんしないし、どこかそんな自分の肯定的に見ているようにも感じられた。その姿勢は楽観的とも言えるが、どこか成長することを放棄しているようにも見えた。
もちろん、他人の人生なのだから「もうちょっと勉強して自分を磨こうよ」と言うのは野暮であろう。しかし、その甘さのせいで職場の人に迷惑をかけているとしたら…と考えると、お節介かもしれないが、つい助言をしたくなる衝動にかられてしまう。
「自分はバカだから」と言って自分で自分を諦めている
自分で自分をバカという人は、どこか自分に対する諦めや投げやりな姿勢があり、自分で自分の生活環境や働き方を改善していこうという気概が感じられない。
また、後述するが自分の生活に関わることに対して、常に他人頼みになってしまう。加えて、自分に期待できない分、他人に過度な期待をすると同時に、その期待が裏切られて失望する経験をなども繰り返している傾向が見られる。
なお、数ある「自分○○」という自己紹介の中でも、「自称バカ」に限定すれば、その精度は非常に高いと私は感じている。
「賢い人こそ自分の頭でも理解できるように説明すべき」と考えてしまう
勉強嫌いな大人は、自分から何かを学んだり知識を身に付ける必要性に迫られる場面でも「自分の頭でもわかるように、わかりやすく説明すべきだ!」と、相手に強く求めてしまう傾向がある。
たとえ自分の生活に直結することでも、教えてもらう人に対してお客様気分で接してしまっている。言い方は悪いが、自分で貪欲に学ぼうという姿勢がなく、また多少複雑な説明をされてもそれを自分で深く調べようとすらしない。ただ、わかりやすい…というよりは浅くて抽象的なことを言われたこと受け取ってばかりである。
相手が相手なら、情報弱者とみなされて詐欺の格好のカモ扱いされそうな姿勢の持ち主ともいえよう。
新しく学んだことを疑う姿勢がない、疑問を持てない
勉強嫌いな大人は、必要性があって新しく学んだ知識をそのまま鵜呑みにしてしまう。つまり、学んだ知識が本当に正しいのか…という、疑問を持ったり考える姿勢が見られない。
普段から考えたくない姿勢が身についてしまっている影響もあるが、インプットした内容をそのままアウトプットしても、ただの知識の羅列でありコピーを吐き出しているにほかならない。
言うなれば、学んだことを深めたり、今の自分の知識や視点をもとに考え直す、応用を効かせてみることができず、いつまで経っても浅い自己啓発書、ビジネス書止まりな思考や言動しか身につかないのである。
簡単に頭がよくなりそうなコンテンツに惹かれやすい
勉強嫌いとはいえ、勉強ができないことで被る不利益(貧困、人間関係の苦労、将来不安など)は当の本人たちは自覚していることが多い。
将来起こりうる不利益を回避すべく、仕方なく勉強をする状況になったとき、勉強嫌いな大人は、簡単に頭が良くなりそうである…という雰囲気だけをまとった、教養チックなコンテンツに惹かれる傾向が強く見られる。
例えば、自称ビジネス系のyoutuberが出している自己啓発動画やビジネスに役立つ動画、ライフハックなど生活の質を向上させる類の、短時間且つ聞き流しで済む動画を見まくる。
もちろん、そうした動画の質は否定しないが、簡単にそして楽に手に入る知識を入手にしても、それを実践しようとしない。面倒事を回避して楽して何かを手に入れたいという願望が強すぎるあまり、使わない知識(それも鵜呑みにしている知識)ばかりが増えてしまう。
加えて、座学や研修のようにある程度の時間や労力を要する勉強への苦手意識が強まると同時に、苦しい勉強から逃げている自分を慰めるがごとく、わかりやすいが内容に疑問がある自己啓発系コンテンツに没入してしまうのである。
新しい知識を知る=自分の否定と捉えてしまう
勉強嫌いな人の中でも、必要性に迫られても勉強しようとしない真性の勉強嫌いな大人には「新しい知識を知る=今の自分の否定」であると、捉えてしまう癖がある。
勉強することに抵抗がない人からすれば、新しい知識を知ることは自分の知らない世界を知れる楽しみや喜びという側面があるのだが、勉強嫌いな人は、新たな世界を知ることは自分の無知さを痛感させられるという苦痛の側面ばかりを強く感じてしまう。
その結果、苦痛を避けるべく新しい知識を積極的に知ろうとしない。
加えて、自分の関わりがある人に対して、勉強することの無意味さ(例「学校の勉強は役に立たない」「勉強以外にも大事なことがある」など)を説いて、自分が新たな知識と直面する機会を間接的に減らそうとするのだ。
…と、いうことを述べて、ここでお開きにさせて頂く。