意識高い系(≠意識高い人、実力のある人)と呼ばれる自己評価は高いがそれに見合った実力も実績も経歴も無い人は、その性質上新卒の就職活動でも、既卒の転職活動でも、もっと言えば独立してフリーランスで働く場合でも、普通にまともに働いている人達から敬遠される傾向がある…と、私は実際に働いてきた中で感じた。
今回はこのことについて語ろうと思う。
なお、内容的に意識高い系活動に没頭している人の心にチクチクと刺さる内容が多く含まれているので自己責任で読んでいただきたい。
まともな職場ほど意識高い系を雇い入れるのはすでに働いている人からしていい迷惑である
普通に意識高い系みたいな人がいない職場からすれば、意識高い系のような自己評価が高いくせにろくに仕事もできない。おまけに自己主張が激しさから教育するのにも余計な労力がかかるような人間は、シンプルにいい迷惑である。
また、雇うか雇わないかを決める権限を持っている立場の人からすれば、「もし仮に意識高い系みたいな自己主張の激しいトラブルメーカー気質な人間を雇ってしまったことで、今既に働いている人達の士気が下がり仕事の能率が下がったら…」とか「意識高い系を雇い入れたことに不満を感じて、実力のある人が職場を去るような事態になってしまったら…」という不安を抱くのも無理はない。
要するに、意識高い系はまともな職場ほど雇えば人、金、労力面で実害が出てしまうことが容易に想像できてしまうような負の人材である。だから、後述するような職場以外からすれば「とりあえずリスク回避でお祈りメールを送っておくのが無難だな」と判断するのだ。
“まともではない”職場であれば、意識高い系でも働ける(ただし明るい未来が待っているとは限らない)
意識高い系の人でも採用できる職場の一例としてあるのは、働く人に知的労働を求めていないような職場である。
つまり、「とりあえず日本語が話せて健康に問題がなければ即採用」というぐらいに緩い基準で採用している職場である。この緩さからなんとなく想像できると思うが、仕事の内容は単純作業の繰り返し、ただノルマを達成することばかりを追求するような営業、頭脳よりも体力勝負で若いからこそできる肉体労働…などが想像できることだろう。
ひどい場合なら、取引先や顧客を泣かせることを前提にしているような商売の組み立て方をしている悪徳企業。離職率が高く新規採用を頻繁に繰り返すことでどうにか保っている会社‥のように、決して良い待遇ではないし、続けてもキャリア形成ができるとは言い難く未来もような仕事しか残っていない。
こういう状況に陥るのが意識高い系の人が待ち受ける末路の一つである。
フリーランスでも意識高い系に染まった人はまともに働いている人たちから敬遠される
就職、転職ではないがフリーランス(自営業)でも意識高い系の文化や精神論に染まっている人は、同じくフリーランスとしてまともに働いている人であったり、また正社員として働いている人たちから敬遠の対象になることは珍しくない。
同じくフリーランスとして見れば、意識高い系のフリーランスは面倒な問題(音信不通、連絡の行き違いなど)を起こしそうなことはもちろんのこと、そのフリーランスと一度関わったことでまともなフリーランスの同業者から「おいおい、お前あんな筋の悪いところと関係持っているのかよ…」と思われるリスクがある。
やや誇張しているようになるが、いわゆるネット上でフリーランスを名乗って活動している人の中には、マルチ商法やねずみ講をしている人に見られる芸風や行動様式が身についている人がいる。そういう人たちと関わることは、言い換えれば自分もそういう人間と同じになる。つまり、胡散臭い連中の仲間入りを果たすということになる。
当然そんな自らのキャリアを台無しにする真似はしたくないからこそ避ける…という心理が働く。もちろん、これはフリーランスに限らず、会社員でも同じだ。
誰だって「バカと一緒に働きたくはない」と思うが、それを口にしないのが世の常である
最後に、意識高い系は私個人的には「バカ」と読んでも違和感ない存在だと思う。
勉強ができないというようなバカさではなく、世間知らず、考えなしに動く、常識をあえて無視する、権威がありそうな人の情報を鵜呑みにする、承認や金のためならなんでもやる節操のなさ・下品さ…というような勉強以外の面で感じるバカな部分が意識高い系がバカたる所以だ。
そして、多くの人は思っても口にしないと思うことだが、誰だってバカと一緒に働きたくはないという思いが多少はあるものだ。
なるべく職場にバカを入れないために、エントリーシートを書かせたり、面接をしたり、採用のための試験を課す…ということを行っている。要するにまっとうに働けるような職場は「バカお断り」である…ということを身をもって知っておくのは重要な事だと感じる。