仕事や勉強、スポーツや芸術などの各分野において「自分には才能がないから」と口にすることで、努力を避ける人は少なくない。
夢や目標を諦める時のセリフとしての「自分には才能がないから」は、フィクションの世界に限らず現実でも馴染み深いものであろう。
しかし、私が今まで関わってきた人の中には、一応夢に近づいている風に見えるが、どこか努力を避けるために「才能」というセリフを使う人を度々目にすることがあった。
今回は努力しない言い訳としての「才能」というフレーズに関して、個人的な見解を述べていこうと思う。
自分に秘められた才能を探し続ける人たち
冒頭で述べた、夢に近づいてるようで実は遠ざかっている気がする人たちは
- 「自分の眠っている才能を活かそう!」
- 「その才能を活かして、お金を稼ごう!」
という具合に「才能」という単語が含まれている台詞を口にすることが目立つ。
そして、自分に秘められた才能がなにかを探すことに夢中になって、ネットや本などで自分探しをする傾向が強い。(ちなみにだが、ここでの「才能」は「個性」とか「ありのままの自分」とか「好きなこと」に置き換えても通用する)
一見すると、自分の夢に向かって前進しているように見えるし、少なくと自分のキャリアや人生を諦めているようには見えないものだ。
しかし、この手の才能探しをする人の多くは、才能を探すことばかりに終始して、その才能を生活や仕事で活かす…という段階に進まないことが目立つ。
むしろ、努力することから半ば逃げるかのように、才能探し…というか自分探しの旅兼現実逃避の旅に出かけて、ただ時間と労力を無駄に消費していることが目立つのだ。
「才能がある=無駄な努力は必要ない」と考えてしまう
才能探しに夢中になる人には「才能がある=無駄な努力は必要ない」という考え方の癖を持っているのではないかと私は推測している。
彼らにしてみれば、たとえば自分に野球の投手の才能があれば、基礎的な練習や体づくりのためのトレーニングも必要なく、練習せずともそのままの状態で活躍できる…という具合に、才能は必要な努力をショートカットできるものだと考えている節がある。
また、才能があるからこそ、その才能を活かしてトレーニングをすれば、凡人の何倍もの速度でスキルアップできる…と言うような、効率や合理性を重視する傾向も強い。
ここまで効率重視になるのは意地悪な言い方をすれば、地道な努力を嫌い、面倒事を嫌がり、楽して人生一発逆転できそうな何かを求めているのが原因だと思う。
ただし「楽して大きな成果や成功を得たい」という考えは、あまりにも浅はかであるし、人間として薄っぺらい部分が目立つものだ。
そんな自分の浅はかさを隠しつつも、周囲に対していい格好をしたい人こそ、自分に眠っている才能探しに夢中になる。夢中になっている間は、少なくとも浅はかな人間だと他人から見られる可能性は限りなく低くなるからだ。
才能探しに夢中になって努力をしない理由
才能を探しに夢中になる人は、単に泥臭い努力を嫌っているから努力をしないばかりではない。
むしろ、自分に才能があると分かっても、その才能が他人から客観的に評価されるのが怖いからこそ、才能を活かす段階にまで至らないのだ。
仮に自分に野球の投手の才能があったとしても、その才能が数ある投手希望の選手の中で、とくに特筆したものではないとなれば、自分の才能は無意味だと感じてしまう。
「才能がある≠競争の中で勝つ」だからこそ、自分に秘められた才能探しにのみ注力してしまうのだ。
夢を追うとなれば他人との競争は避けられないし、場合によっては才能があっても競争に負けてしまうことは珍しくない。
当然、才能があり、努力を十分にしても、必ず夢が叶うという保証はどこにもない。夢が叶わなければ今までの努力も、そして才能も無駄になる…と考えてしまうからこそ、無駄な努力にならないためにも、とりあえず才能を探しの段階で留まり、精神的に満足するだけ終わるのだろうと分析している。
ちなみに、そもそも競争が存在しない分野であったり、客観的・数的な評価が難しく競争のしようがない才能探しをする人もいる。
たとえば「優しい」「直感力がある」「感受性が強い」というような才能は、優劣で競うようなものではないし、数字にして評価できるようなものでもない。
また、競争のような好戦的な概念を持ち込むようなものでもない。もし仮に「優しさを競う」となれば、それは優しさを感じさせるものではなくなり、矛盾が生じてしまう。
最近HSPなる(胡散臭い)概念が流行るのも、こうした競争とは薄い才能探しの側面があるからだと私は見ている。人間、妄想の世界に没頭していれば、現実世界の情け容赦なさに打ちのめさる事はないものだ。
最後に
才能探しに夢中になって努力を回避している人を見るたびに「世間はおまえらの母親ではない、おまえらクズの決心をいつまでも待ったりはせん」という某ギャンブル漫画のセリフを思い出す。
自分の秘められた才能を探しをしている時間はたしかに心地よい。しかし、大事なのは自分に何の才能があるかを探すことよりも、今の自分でどれだけの成果を出せるかに注力することだろうと思う。
…だが、こういった厳しい指摘をすれば、「やる気がなくなった」と言い訳をして努力と現実から逃げてしまうのが、才能探しに夢中になる人に目立つ。
そうやって才能探しに時間を費やせば費やすほど、ベストではないにしてもベターな才能で努力をする人や、才能関係なく努力する人との差が開いてしまうのは言うまでもない。