「寄り添う」というキャッチコピーが苦手な理由を説明する

仕事・ビジネス
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今やいたるところで「寄り添う」というキャッチコピーを目にすることが多い世の中である。商業の場や広告として用いられる表現に限らず、普通の人間関係においても「寄り添う」という言葉を見聞きすることは珍しくない。

しかし、私はどうもこの「寄り添う」という言葉が好きになれない。東日本大震災のあとに「絆」という言葉があふれた時と同じような苦手意識を感じている。

今回はこの「寄り添う」という言葉の苦手意識について、私個人の見解を述べていこうと思う。

 

「寄り添う=自己満足、偽善、依存」のニュアンスが強い

私自身のイメージだが「寄り添う=自己満足、偽善、依存」というニュアンスを感じるために、寄り添うというキャッチコピーそのもの、ひいては「寄り添う」という言葉を常日頃から使う人に対して警戒してしまう。

辞書的には「寄り添う=相手のそばに近寄る」という意味であり、そこから派生して「優しく接する、深く共感する」というニュアンスになる。

しかし、寄り添うという言葉を使っている人(場合によっては集団)を見ていると、自分たちがいかに優しさに満ち溢れている存在であるかを強くアピールしている節が強く、自己満足や偽善といった印象が強くなるのだ。

寄り添うという言葉を使う人たちは「自分はこんなに優しいですよ」と言いたいのではなく「こんなに優しい自分を認めて欲しい、受け入れて欲しい」とか「私はこんなに優しくて、優れた人格の持ち主ですよ」と言いたいかのように思えてくる。

つまり、控えめな部分や慎ましい部分が存在しないからこそ、「寄り添う」という言葉や彼らの優しい態度が、どこかチープで俗物なものに思えてしまうのだ。

 

 

「優しく振舞って結局はビジネス目的なんだろ」という印象が拭えない

寄り添うという言葉が好きになれない理由として「優しいフリして結局はビジネス目的なんでしょ」という冷めた目で見てしまうことがあると感じている。

もちろん、ビジネスである以上優しい態度を見せることは重要だ。値段の合理性や商品の質・魅力に並ぶぐらいに感情もまたビジネスにおいて重要であることは、娯楽の色が強い仕事(クリエイティブ職)をしている私は強く感じている。

ただし、こと「寄り添う」を強く出してくる商品・サービスを見ていると、どうも荒削りな部分が目立つというか「優しさを商品の付加価値として強くアピールするよりもまず、真っ先にやるべきことがあるだろうに」と部外者ながらツッコミを入れたくなるものが目立つ。

飲食店を例にすれば、出される料質に問題があるのだが、そこを改善せずに「うちの店は優しく寄り添う接客が売りですよ」という経営方針を打ち出すようなものである。根本的な解決をせず、その場をやり過ごすためにとりあえず「寄り添う」で誤魔化している姿勢は、まさに優しさとは無縁の欺瞞である。

ひどいものだとお人好しな人の良心に訴えかけるかのように「寄り添う」ことを有効利用している事もある。

この手の「寄り添う」は、意地悪な言い方をすれば「自分はこんなに優しいんだから、見捨てないでね、お金を落としてね、多少の不手際も大目に見てね」というニュアンスで使われているものである。まさに、人の善意を食い物にしているように見えてしまうのだ。

 

 

「見ず知らずの他人に寄り添われるほど自分は弱い存在ではない!」という反発心が沸き起こる

(私が少々血の気が多いだけかもしれないが)見ず知らずの他人から、理由もなく「寄り添いますよ~」と優しさを向けられることに、怒りに近い感情を覚えることがある。

その怒りの理由は、(おそらくだが)他人から見て、助けが必要なほどにか弱い存在だとみなされている事への怒りだと分析している。

優しい態度を見せる人は、意地悪な言い方をすれば「この人なら安心して自分の優しさを受け取ってくれるぐらいに、心身が弱っている」とか「自分と同じような辛い境遇の人間に違いないから、優しさを見せても問題ない」と、他人を見下して理解した気になっている部分がある。

こうした部分に対して、私は自分をないがしろにされた事や侮られた事への怒りを感じているのだろうと分析している。

 

「寄り添う」が多用される背景にあるもの

最後に「寄り添う」というキャッチコピーが多用される背景についても触れておこうと思う。

  • 長引く不況や格差の拡大などにより、精神的に追い詰められている人が珍しくない暗い現代において、「寄り添う」のような強い優しさを伴う表現の効果がより強まっている。
  • 基本的に角が立たず、ポジティブな表現であるため、あらゆる職種のキャッチコピーや、日常生活の場面おいて活用できる便利さがある。
  • とくに対人サービスが主な仕事(教育・コンサルなど)や、人を助ける色が強い仕事(医療・介護など)においてはイメージとうまく合致しているコピーであるため積極的に使う人が多いのだと推察できる。
  • 便利過ぎるがゆえに安直且つ安易な表現になりやすい側面もある。
  • 優しい表現についてこの記事のように厳しく態度を見せること自体、タブー意識を感じる人が多い。結果、いたるところに「寄り添う」という表現が溢れている。

 

私自身、「寄り添う」という言葉が溢れている今の世の中は、正直言って辛気臭いなぁと感じている。寄り添うのほかにも「共感」「自己肯定感」など、優しさを伴うニュアンスの言葉も同じだ。

しかし、このような言葉が多く使われている現代は、言い換えれば未来に希望を持つのが難しい世の中であることを反映しているのだろうと思う。すなわち、一寸先は闇ならぬ「病み」が広がっている世の中なのだ。

あまり簡単に「病み」という言葉を使いたくないが、これもまた便利であり使いやすいのがなんと皮肉である。