仕事の指摘が怖いと感じる人の特徴とやるべき事

仕事・ビジネス
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仕事をしている中で、自分の至らない部分やうっかりしていた部分を指摘される。そのことについて、強い恐怖や苦痛、恥ずかしさといった感情を覚える人は少なくないものです。

もちろん、ここでいう指摘は大声で怒鳴る、威圧される…といった、パワハラと受け取られかねないものに限った事ではなく、優しく諭すような言葉かけであっても、その指摘の言葉をオーバーに受け取ってしまった結果、強い恐怖を覚えてしまうこともあります。

今回は、そんな指摘を強く怖がってしまう理由や心理について、語らせていただきます。

 

完璧主義な人ほど、些細な指摘にも強く怯える

指摘を強く怖がる人の特徴として目立つのが「完璧主義」な考え方、性格の人。

自分は完璧であらねばならない…つまり、他人から指摘を受けるような欠陥や不出来があってはいけない人間である、という自己イメージを持っているから。

だこそ、本当に些細な指摘であっても、その指摘を拡大解釈してしまい、理想の自己イメージを壊しかねない恐ろしい言葉のように感じて、強く怯えるのです。

この人にとっては、程度の小さいor大きいに限らず、指摘の言葉は全て、自己イメージを壊しかねない、恐るべき言葉。言い換えれば、自分を攻撃してくる言葉であるかのように感じてしまうものです。

しかし、厄介なことに指摘を恐れるあまりに、完璧な自己イメージが崩れない程度に頑張ることで、あえて指摘されないような状況に、自分で自分を追い込んでしまうという、一見すると非合理的な行動に出てしまうもの、完璧主義が故に指摘を恐れる人に見られます。

これは、「新しい仕事に取り組む過程で完璧な自己イメージが崩れるぐらいなら、いっそ自分に出来る範囲のことだけやっておけば、指摘を受ける確率は限りなく低くなる」という理屈で動いているが故に起きる現象。

傍から見れば、サボっている、手を抜いていると思われて指摘の対象になる行動ではありますが、当の本人からすれば自分で自分を(一応は完璧に)守れるという見込みがあるからこそ、とっている行動なのです。

 

白黒思考の人もまた指摘を強く恐れる

完璧主義の人にも通じますが、

  • 生きるか死ぬか
  • 成功か失敗か
  • 0点か100点か

という、両極端な思考の持ち主…つまり、白黒はっきりつけてしまう人もまた、指摘されることを強く恐れる傾向があります。

この人にとって、指摘とはまさしく「死」「失格」「信用を失う」「底辺人生まっしぐら」といった、強い負の印象を待つ言動と捉えてしまう。

それゆえに、指摘されることを強く怖がると同時に、指摘されるとまるでこの世の終りとでも言いたいかのような強い落ち込みを感じたり、簡単にメンタルが折れてしまうのです。

世の中を見渡せば、白黒はっきり二分に出来ることの方が少なく、グレーゾーンがあったり、白でも黒でもない中途半端な評価があるのですが、普段から白黒はっきりつけたがる癖が影響して、白でも黒でもない評価が見えていないし、気づくこともそうそうない。

また、白黒思考の人は、かりに良い評価を受けたとしても「今は良くても、もし次に指摘されるようなことがあれば、そのときは人生まっさかさまだ」と、しなくてもいい気苦労に悩まされやすい思考の持ち主でもあります。

 

指摘されるのは怖くない。本当に怖いのは指摘されなくなった時

とはいえ、指摘されたということは、言い換えれば(指摘された箇所を改善できれば)自分にはまだ伸び代がある、と前向きに解釈出来ることでもあります。

また、昨今ではあまり聞かなくなりましたが、指摘する方も指摘を受ける相手を嫌いだから、気に入らないから…という私怨ではなく、その人の成長や利益といった、他者貢献のためにやっている行為とも言えます。

それに対して「私は攻撃された」「私は傷つけられた」と被害者面をして、指摘されたことを放置し、反省も改善もしないままでは、次第に指摘する側も「この人は指摘だけに見合うものがない相手だ」と判断してしまう。

つまり、成長も反省も改善もしないし、あろうことか指摘した相手を加害者扱いして攻撃してくる、迷惑で扱いに困る面倒な人(=要するに腫れもの)…と判断されてしまう。

こうなれば、指摘されることは無くなるので、快適な人間関係が手に入るかもしれません。しかし、その実態は貴方は周囲から見放されたというにほかなりません。

指摘自体は決して怖くない。むしろ指摘されなくなった時の方が、ある意味背筋が凍るような怖さがあるように感じます。

 

かつては「叱られるor怒られるうちが華である」とはよく言ったものですが、ハラスメントに関する教育が行き届いた現代では、指摘をすることためらってしまう。

そういう社会やコミュニケーションの変化が、老いも若きも関係なく指摘を過度に怖がってしまう人たちを生み出しているような気がしてなりません。