youtuberという働き方が世の中に認知されてきた頃から「自分の個性を活かして働こう」とか「好きなことで生きていこう」というような、ある属性の人にとっては希望を感じさせるような明るいキャッチフレーズを目にすることが多くなってきと感じている。
かくいう私も、いわゆる若者の趣味や娯楽の延長線上にある分野で働き、なんとか生計を立てている身ではあるが、どうもこの手の「個性を…」とか「好きを…」というような(甘ったるい)言葉や風潮は好きになれない。
もっと言えば、そういう風潮を広めているインフルエンサー(ネット上で影響力のある人の事)に対しては「なかなかに無責任なことを言うなぁ」という感想を持っている。
今回は、このことについて個人的な見解を語ろうと思う。(なお、好きなことで生きていきたいと強く夢見ている人の心にとって優しくない内容が含まれている。その点はご理解した上で読むor読まないを決めて頂ければ幸いである。)
「好きなことで生きていける」はただ人を惑わす甘い言葉
率直に言えば、「個性を…」とか「好きを…」という言葉は、ただ人を惑わし躍らせる類の言葉である。優しいように聞こえるが、実際は人を破滅へと誘いかねない類の危険な言葉であると考えている。
こう思うのは、私が学生時代に漫画「ドラゴン桜」を読んでいたことが影響していると見ている。
ドラゴン桜のドラマ版の中で
お前らガキは、社会について何も知らない。いや、知らないというより大人たちがワザと教えないんだ。
その代わり未知の無限の可能性だなんて、なんの根拠もない無責任な妄想をお前たちに植え付ける。そんなもんに踊らされて、個性を活かして他人と違う人生を送れると思ったら大間違いだ。社会はそういうシステムになってない!
という感じのセリフが、当時受験生であった私の心に深く刻まれている。
そうした過去があるからこそ、今の世の中にはびこる「個性を…」「好きを…」という言葉について、あまり良い印象を持てないのだ。
「個性を…」とか「好きを…」が溢れる理由
もちろん何事にも例外はあるし、運良く個性や好きなことで稼げている人がいるのも事実である。
しかし、例外を基準にして自分の人生設計を立ててしまうような真似をすることは、私個人的な意見になるが、現実を冷静に見れておらず非常に危うい状態だと思えてならない。
…まぁ、このような説教臭いお小言は、ネット上では非常にウケけが悪いし、実際に好きなことを極めた先にある人がSNSやyoutubeなどで投稿すると、自分のイメージやブランドを下げてしまいかねない類の言動である。
そのため、内心は「好きなことで生きていくのは非常に厳しい」と思ってはいるものの、セルフブランディングのために「好きなことで生きています!人生楽しいです!」とネット上で演出している人も一定数いるだろうと私は見ている。
本音と建前、大人の都合、演出の一環、ポジショントーク、セールストークがなんたるかをまだ理解できない子供や若者に向けて「個性or好きを仕事に…」というのは、非常に無責任な行為だと私は考えている。
もちろん、子供や若者に限らず、仕事に不満があり、今まさに転職や退職を考えている人に向けて同様のことをするのも無責任だと思う。
でも、そういう無責任に人に夢や希望を与える極端な人ほど、こんなしみったれたブログよりも魅力があるというのは紛れもない事実であろう。
個性や好きを生かした仕事は逃避の先にある仕事であり、やべー奴が多い
これは私の率直な意見だが、いわゆる個性だとか好きを生かした仕事は、えてして目の前の面倒事から逃げたいという願望が強い人が行き着く先にある仕事という側面がある。
つまり、勉強、仕事、人間関係など、煩わしいものから逃げたい…と考えてしまうようなダメ人間が行き着く先にある仕事なのだ。
もちろん、逃避先の仕事でも至ってまっとうに、そして普通に働いている人はいるし、そういう人は良くも悪くも珍しいので感謝される傾向がある。(あくまでも私の観測範囲での話で恐縮だが。)
ただし、約束をすっぽかすとか、途中で仕事を投げ出すとか、音信不通になるとか、そもそもコミュニケーションが成立しないとか、精神的な問題があるだとか、基本的な算数ができないだとか、モラルの面で問題があるだとか、ギャラの未払いが多い…というような、明らかに問題があることをしでかす。つまり、「やべー奴」と表現できる人も多い(これもまた、あくまでも私の観測範囲での話で恐縮だが。)
このようなヤベーやつが多いのは、私が思うに就職活動のように面接や試験のような仕組みがないからだと見ている。
本来であれば「この人には、とても責任のある仕事を任せられないし採用したら職場が混乱状態になり」と判断されて、丁寧にお祈りされるような人ですらも、逃避の先にある仕事は問題なく参入できる。
働く内容によっては勝手に肩書きを名乗って自分で商売を始めれば、そこそこ稼ぐことができてしまうのが、この手の逃避酒の仕事の魅力とも言えよう。
しかし、そもそもがモラル、対人能力、人間性や社会性に致命的な難があるために、まともに仕事をしている人からすれば、まさに見えてる地雷そのものである。
そういう見えてる地雷がわんさかいる状況だからこそ、地雷を地雷と見抜けるだけの社会経験や人生経験、基礎的な学力やコミュ力がまだ身についていない人に対して「個性or好きを仕事に…」と無責任に言う行為については、どうも首をかしげたくなるのだ。