年齢関係なく大抵の人は勉強が嫌いだし、基本的にめんどくさいもの…と認識していることだろうが、この記事では学生時代から勉強が嫌いでそのまま社会人になって働くことのデメリットについて個人的な見解を語っていこうと思う。
なお、いい職場を選びにくくなるとか、優秀な新人に容易く追い抜かれてしまう…など、よくどこかのビジネス系のサイトで目にするような情報ではなく、主に精神面や行動面に着目して以下で解説していく。
新しい仕事を学ぶことへの精神的負担が増えてめんどくさがりになる
勉強嫌いな社会人は、新しい仕事を学ぶこと、あるいは新しい仕事をするのに必要な知識を学ぶことに対して強いストレスを感じてしまう。つまり、仕事で起きる新しい出来事へのストレス耐性が異様に低く、めんどくさがりな人間になってしまうのだ。
また、学生時代から勉強を回避してきたような人は、マニュアルや指示を理解するのに必要な基礎学力であったり、基礎学力を身に付けるために必要な能力(主に文章を読む力であったり、論理的に考える思考力)が欠如していることもある。要するに、教育しにくいという負の特徴があるのだ。
そのほかにも勉強から逃げてきた人の中には、
- 自分なりの勉強の仕方であったり学習の癖がそもそも身についていない。
- 自学自習、独学をしようとする気持ちすら起きない。
- 難しい仕事を前にすると他人任せにする、あるいは「できません」と拒否する。
など、まともに仕事をする仲間としても、取引先としても、どう見ても「この人とは一緒に働くのは不安だ」と思わせるような負の要素が強い。
そのため、頭を使う仕事よりも単純作業や肉体労働のような仕事しか選択肢がない。つまり、仕事の選択肢が減り良い待遇が手に入りにくくなるのだ。(もっと言えば、就職活動の筆記試験で失敗して無内定になる可能性も十分にあるのだが…)
「上から怒られない」ことばかり意識して働くようになる
運良く頭を使う仕事にありつけたとしても、新しく学ぶことに対して強いストレスを感じやすいために、成長が遅いorいつまでたっても成長せず指示待ちで受身な働き方をしてしまう。
自分の能力の低さを自覚しつつもかと言って改善や成長をしないために、職場での居場所を獲得しづらいのはもちろんの事、不勉強なせいでミスしたくないために「上司から怒られない事」ばかりを気にして、顔色を伺って自信なさげに働くようになってしまうのだ。
もちろん働き始めて間もない頃なら「まぁ、新人で不慣れだから仕方ないよね」と大目に見てもらえるかもしれない。しかし、やがて後輩が入ってきて、30代になってきて…と時間が経つにつれて、期待をかけてもらえることは当然ながら無くなる。
また、長年消極的で受け身な働き方をしていたために誰かを頼ることも難しくなる。「頼んでも嫌な顔されるのではないか?」と人目を気にするようになり、精神を病みやすくなるという嫌なおまけ付きである。
…といっても、精神を病む原因の大半は職場ではなく自分自身にある…ということに気づけるかどうかは難しいし、そもそもストレスを強く感じやすいために他責で考えて結局自分自身が成長しないという方向に舵を取ってしまいがちである。
短文でわかりやすい情報ばかりに飛びつく癖が増えて、結論ばかりを求める短気な部分が増す
私の独断と偏見ではあるが勉強嫌いな社会人ほど賢いと見られたいがために、断定口調で固められた薄っぺらい自己啓発書やビジネス書を嗜んでいたり、SNSにて綺麗まとめられているけどさほど内容がないような図解ツイートや整理だけはされたライフハック記事をシェアしたり、派手な釣りサムネな本の要約チャンネルを見てコメントを残り勉強した気になっている…という、いわゆる意識高い系な行動をする傾向があると思う。
もちろん、効率的にまとめられた知識を得られるのはスマホ全盛の昨今ならではの利点だろう。しかし、私はどうもこれが良いことばかりとは思えない。
意地悪な言い方になるが効率ばかりを求めるスマートさがあるとは思えず、むしろわかりやすい情報に考えなしに飛びつくだけの短気さが増しているように思える。
つまり、辛抱強さがなくなっており、些細なことでイライラしやすい頭になっているのではないか…と思うことがある。
抽象的な表現で申し訳ないが、この手のわかりやすい情報にすぐ飛びつく人には、例え年上or目上の方であっても教養や品格といった大人ならではの嗜み・渋みといったものが感じられない。むしろ下品であり年相応の落ち着きがないし、どこか幼稚さすら感じる(=若さではない)…と私は感じている。
(もちろん、全ての人が下品であると断定するつもりはないし、これは私の趣味や価値観の問題だとは思うが。)
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