取り柄がない人の仕事法、働き方、心の保ち方

仕事・ビジネス
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意識を高く持つ事を心がけている人からすれば

  • 「好きを仕事にするべきだ」
  • 「他人には見られない経歴を持つべきだ」
  • 「会社に頼らなくてもいいぐらいのスキルを身に付けるべきだ」

という類の、社会人を鼓舞するような言葉の類は、少なからず耳にしていることだと思う。

とはいえ、誰もが自分の好きを仕事にしたり、珍しいキャリアで渡り歩いていけたり、優れたスキルでブイブイ言わせるような社会人生活を過ごせるというものではない。

むしろ、大した取り柄がない自分を自覚しつつも「こんな自分では将来不安だらけ…」と悩んでいる人の方が多いのではないかと思う。

今回はそんな取り柄がない事で悩んでいる、社会人(会社員だけでなくフリーランスなども含む)に向けて、語りたい事を語ります。

 

「取り柄がない」事に劣等感なんて持つ必要はない

まずはじめに「取り柄がない事に対して劣等感なんてもつ必要はない」ということを、強く伝えたい。

何か特筆した取り柄がないと、社会人として失格になるわけではないし、明日から食えなくなるというものでもない。

心の奥底で取り柄があることそのものを過度に高評価しているからこそ、その反動で取り柄がない状態を非常によろしくない状態だと評価してしまっている…。

仮説ではあるが、劣等感に苦しむ人の中には、このような状態になっている人が多いように見受けられてならない。

 

 

なんの取り柄もない人こそ自から学びに行く

次に、取り柄がない事を自覚しているからこそすべきなのは、自ら学びに行くことだ。

ここでいう今の仕事の人間関係(上司・同僚・部下や、取引先、同業者など)にお願いして教えを請うことでもいい。(もちろん、仕事以外に自分が興味のある趣味やスポーツの先輩、ベテランさんにご指導賜るのでも良い。)

取り柄がないからこそ、自分より優れた何かや自分が憧れている何かを持っている人のもとに行って、そこから何か学ぶ。

…というと至極あたり前のことのように思えるが、以外にも取り柄がないと悩んでいる人ほど、取り柄がある人を恨めしく思いつつも、実際には現状に甘んじているというか、取り柄がある人のもとにいくことをためらう傾向が見られる。

おそらく、

  • 取り柄がある人のもとにいけば、尚更自分の惨めさを思い知らされる。
  • 取り柄がある人に一種の怖さ、畏怖の念がある。
  • 取り柄は欲しいが、自信のプライドが何かを学ぶという行為そのものを拒んでいる。

ことが原因だと思われるが、そこは恥を忍んでご教授願う姿勢を忘れてはいけない。

取り柄がないという空っぽの自分を受け入れて、そして空っぽの自分に経験や知識という栄養を与えるために、自ら学びに行くという姿勢を持つことが肝心要である。

 

「それほど取り柄がなくても仕事は出来る」という事実が自信になる

取り柄がない人が学ぶことによって起きるのが「それほど取り柄がなくても、自分は仕事が出来るんだ」という実感を得ることである。

ここで「それほど」と書いたのは、何か特筆した取り柄がある人には及ばないものの、それでも自分に身に付いたそれなりの取り柄によって、他人の役に立てたり、感謝されたりする。

つまり、自分の理想像には遠く及ばない状態であっても、一定の評価を得られたという事実が、自分の心の弱さと脆さを払拭する軸になるのだ。

現にプロスポーツの世界であっても、皆が皆オリンピックや世界大会といった、超一流の世界で活躍できる人ばかりではない。しかし、超一流でない人が皆、生活に困っているかと言えば、そうではないだろう。

 

取り柄のある・ないという両極端な考えではなく

  • 初心者よりちょっとばかし上の取り柄がある。
  • 初心者~中級者程度の取り柄がある。
  • 中級者~上級者程度の取り柄がある。

といった、中間にあたる程度の取り柄のある人間になることを目指して、まずは研鑚を積むことから始めればいい。

もちろん、とりわけ目立つ取り柄をもつ人からすれば、どうしても劣って見えてしまうかもしれない。

しかし、超一流から見ればしょぼい取り柄であっても、その取り柄のおかげで誰かを助けたり、人の役に立てているという経験を手にすれば、取り柄の有無に対してそこまで気にしなくなる日が来るに違いない。

もっと取り柄のある人間になるべきタイミングは、自分の以外の他人の取り柄に対してそこまで気にならなくなってからでも決っして遅くはない。

 

ダメなのは「取り柄がないです~」とヘラヘラしてばかりいること

最後に伝えたいのは「自分は取り柄がない人間なんです~」と、口に出したり態度に出したりして、ヘラヘラとしてばかりいることだ。

見ている側からすれば「取り柄がないのなら、自分を磨けばいいのに」とか「どうも真剣味を感じないし、改善する意欲も見られない」という反感を買うことになる。

とはいえ、実際に怒りや不快感を直接表現する人は稀である、大抵の人は優しく去っていく。そのほうが波風立たない、賢明且つ大人な対応だからだ。

自分で自分を守るために、取り柄がない人アピールをする人ことがクセになっていると、それが身から出た錆になり、社会の中で行きづらくなる原因になるからこそ、ヘラヘラしてばかりいる人はすぐにやめるべきだ…という、事を語って今回はお開きにしたいと思う。