わがままな性格だとメンタルが弱くなる理由を説明する

メンタル・心理
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いわゆるメンタルが豆腐のように弱い人は、自身のわがままな性格がメンタル面の打たれ弱さの原因になっていると感じることが目立つ。

要するに、自身への甘えや未熟が精神的な打たれ弱さの原因になっているのだろうなぁ…と思ったという事である。今回は、どうしてわがままだと精神的に打たれ弱くなるのかについて、個人的な見解を述べていく。

なお、この記事はメンタルの弱い人や過剰に繊細な人の心にとっては、ひじょうに優しくない内容が多く含まれている。そのことを踏まえて、読むor読まないを決めていただきたい。

 

 

社会の中で良い人間関係を築けないためにメンタル面が安定しない

これは私の持論だが、メンタル面の強さは必ずしもその人個人の能力や才能といったものではなく、その人を取り巻く環境や人間関係にも大きく左右されると考えている。要するに、どのような人間関係を構築しているかが、メンタルの強さを決める要因の一つであるということだ。

性格にこれといった難が無く、さしたる問題無く良好な人間関係を構築できる人は「自分は集団から大事な存在だと思われている」と感じることで、自信や自己肯定感を手にできるため、精神的なタフさが身につきやすい。

一方、性格に難があるために周囲とトラブルを起こし、良好な人間関係を構築できない人は「自分は集団から必要とされていない存在だ」と感じて、疎外感や否定感情に悩まされる。結果、精神的に脆くなり、打たれ弱くなるのだ。

そのことを踏まえると、わがままな性格の人は、学校や職場などの人間関係の中で衝突したり、逆に孤立するなどのトラブルを抱えやすい人間と言える。また、これはリアルの人間関係のみならず、ネット上の人間関係でも同様である。

また、わがままに限らず、いわゆる、ぼっち、陰キャラ、ひねくれもの、非モテ、中二病のような、何らかのめんどくさそうな性質を感じる人が、どこか精神的にこじらせているのも、その性格ゆえに良好な人間関係が構築しにくいことが影響し、精神的な問題となって現れているのだと私は考えている。

 

わがままな性格のせいで周囲から嫌われてしまい、精神的に辛い状況に自らを追い込む

身も蓋もないことだが、わがままな性格の人は周囲から嫌わてやすいタイプの人間である。

  • 協調性がなく集団生活の妨げになりやすい
  • 自分の意見が通らないと拗ねる
  • 誰かがわがままな人の機嫌を取る役をせねばならず、他人への精神的な負担が大きい

など、およそ良好な関係を築けるとは言い難い特徴を持つために、次第に周囲から嫌われて孤立してしまうのだ。

ここでわがままな人によくあるのが、自分の性格の問題点を自覚しつつもその問題を解決しようとはせず、周囲に不満をぶつけることだ。自己嫌悪はするが、反省や改善はしない。それどころか周囲と更に軋轢を生むような態度を取るため、ますます関係が悪化する。

 

こうなると、次第に自分が所属している人間関係は全員敵のように思えてきてしまい、心が休まらなくなるのも無理はない。

(精神的に追い込まれている状況の人にこういうことをいうのは酷だと思うが)病むような人間関係の築き方をしていた結果、精神的に追い込まれているだけの自業自得な状況といえよう。

まぁ、たいていの人は「今の貴方が辛いのは、自業自得でしょうに…」とは、言いたくても言えないものである。

言って衝突を起こすぐらないなら、何もせず放置か無視をするのが賢い対応だ。こういう優しいけど冷たい態度を向けられてしまうこともまた、わがままな性格で過ごすことの問題点といえよう。

 

わがまますぎて他人や社会と折り合うことにすら強い苦痛を感じてしまう

わがままな性格の人は、他人や社会と折り合うこと、妥協する事にすら強い苦痛を感じてしまうことがある。

受験、就職、恋愛など、自分の希望と実際の選択にギャップが生じることが多い場面において、自分の希望を下げて妥協点を見定めることに、いちいち苦痛を感じてしまうので、精神的な消耗が激しい。

また、たびたび消耗してしまう経験からか、「消耗するぐらいなら初めから衝突が起きるような場面からは全て逃げる」という態度を取ってしまう人もいる。

具体例を上げるとすれば、すぐに退職・転職をする、学校を休むor退学する、そもそも社会的な責任を背負う場面に近寄ろうとせず引きこもる…というような生活を送る。

もちろん、自分ひとりで生きていけるだけの生活力や貯蓄があればいいのだが、大抵は家族や恋人・友人の善意に依存することになる。そこでもまた人間関係の衝突が生じるのはいうまでもない。

もとより社会と折り合おうとせず、そして生活を支えてもらっている人とも折り合おうともしない。そんなどこにいっても衝突するような性格を改善しようとせず、悪い意味で自己肯定してしまうことに走ってしまう事が、わがままな性格の行き着く先にある問題なのだ。

 

わがままな自分を自己肯定するためにネットの情報を漁る事の弊害

わがままをこじらせて、他人と関わる度に問題を起こしては逃避する癖のある人から見て、ネットの情報はある意味魅力的だろう。

そこには、わがままな自分を肯定する情報…例えば

  • 我慢して働いても将来はAIに駆逐されてしまう仕事が大半。だったら好きなことで生きていこう。
  • 学歴社会はもうとっくの昔に終わった。今は学歴よりも個性や個人を尊重する時代だから大丈夫。
  • 人に嫌われてしまう人、アンチが出てくる人は魅力や才能のある人です。なぜなら、批判的な意見をする人は、批判対象に嫉妬している。つまり、あなたには他人から嫉妬されるだけの魅力や才能があるのです!

というようなものがたくさん存在している。

しかしそのどれもが、まるでわがまますぎて人生が緩やかに詰んでしまっている人達の淡い期待や願望から逆算して書いているのだろうか…とすら思えて来るような文章や動画であると私は感じてしまう。

そういった心の弱った人を狙った罠のような情報すらも、検索すれば次から次へと出てくるのが今のネットの実情なのだ。(もちろん、ネットに限った事ではないけど)

 

もしもこの手の情報を鵜呑みにして、わがままな自分を改めない方向で自己肯定しようものなら、一時的には気は休まるかもしれない。

しかし、結局のところ実生活での生きづらさは改善されず、メンタル面の弱さもそのまま残るだけだと考えている。