心理カウンセラーになりたい人とメサイアコンプレックスについて

メンタル・心理
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まずはじめに、これは私の一個人の経験談であること、そして現在の私は心理カウンセラーなどを含めた対人援助職・心理職の人間ではないという事を踏まえて読んでいただきたい。

私がかつて国立四大の教育学部の学生だったころ、よく実習等で臨床心理士の資格を取って心理カウンセラーとして将来活動する姿を夢見ている人と関わることが多々あった。

もちろん志そのものを否定する意図はないが、どうも「他人を助けるどうこう言うより、まずは自分をどうにかしたほうがいいのでは?」という具合に、精神的な危うさを抱えている人が多かった。

今回はこのことについてプライバシーを配慮した上で個人的な見解を述べていく。

 

「他人を助けたい」ではなく「自分が助かりたい」ように見えた心理カウンセラー希望者

違和感を感じた人に共通していたのは、一応でも他人を助け支える仕事を目指しているのにもかかわらず、どうも自分が助かりたい、自分が気持ちよくなりたい、自分の不安やコンプレックスを解消したい…。そんな「自分が自分が」という意識が強さを感じたことだ。

もちろん、他人を助ける事は素晴らしい。しかし、それよりもまず自分の精神面をコントロールする術を身につけないと、もし将来的に(胡散臭いものではない)心理カウンセラーになったときに、相手も自分も不幸になってしまうのではないかと感じてならなかった。

ネット上では何かと他人を助けたがる癖がある人の事を「メサイアコンプレックス(メサコン)」という名前で表現することがあるが、私がかつて見てきた心理カウンセラー志望者のなかには、少なからずメサイアコンプレックスの疑いがある人がいたように思う。

 

「他人を助けたい」という気持ちは他人を支配することにも応用できてしまう

「誰かを助ける事を通して自分が助かりたい」という気持ちに対して、なぜ良い印象を持っていないのかというか、他人を助けることを通して一種の支配関係を構築してしまうことがあるからだというのが私の意見である。

対人援助職…それも、心理カウンセラーのように相手の内面やプライベートに深く介入しても珍しくない仕事において、個人的なコンプレックス解消のために目の前の相手の生活や心身の健康を脅かすようなことは合ってはならないし、もし起きたらそのときは責任を取るのが筋である。

しかし、自分が助かりたいという願望が強い人は、そうした相手にも相手の事情があるとか、自分が相手の生活に強く介入したがる傾向がるということに鈍いと感じることが多々あった。

むしろ、「他人を助けようとする正義の感情をどうしてそんな疑いの目で見てくるのか?」というように、自分の意見や価値観に同調しない相手に対して、強い攻撃的な感情or被害者意識を見せることがあった。そういう自分本位なところが「危うい」のだと、個人的には思うのだが。

 

なお、こうして書くと大阪のおばちゃんのような相手の事をあまり気にしないフレンドリー且つアクティブなお節介屋さんみたいな印象をもたれるかもしれないが、実際はフレンドリーでもアクティブでもなかった。

むしろ控えめでクラスでも目立ちにくい…いわゆるぼっち、陰キャラみたいな見た目・振る舞いにもかかわらずお節介屋さんであった。お節介に色々個性があるのだなぁと過去を振り返って強く思う。(まぁ、こういう記事を書いている時点で私もお節介屋さんといえば否定はしないが。)

 

自分より下を見て安心する心理と他人を助けたい願望

最後に非常にひねくれた意見だとは思うが、他人を助けるときに感じる気持ちよさというのは、下手すれば自分より下の人間を見て安心する心理と共通している部分があるように感じる。

他人を助けるという場面において、普通は助けられる人の方が助ける人よりも立場が低い、状況が悪い、不健康である、社会的な評判や実績などがない…ということが多いものだ。

いわゆる「下」の人間を自分がすくい上げるという行為そのものに、一種の喜びに近い何かを感じて依存してしまいそうなになる…そう自覚したからこそ、私は進路的には心理職なり教職を目指せる立場であったが別の道を進むようにしたという経緯がある。

他人と深く関わり助けることが、結果として他人を泣かせ自分の個人的な欲求を満たすだけの自己満足になる。考えすぎかもしれないが、そういう自分の醜さを自覚できたのは、良くも悪くもいい経験だったと思う。

 

他人を助ける事と特別な何者かになりたい願望

また、一般的には社会の中で十分成功に分類される人だが、それゆに人には打ち明けられない悩みがあるというある種の劣等感や後ろめたさを抱えている。そんな二面性のある人が自分には悩みを打ち明けてくれたというケースを想定しても、「この人は他の人には言えない事を、特別に自分だけに言ってくれた」と感じてしまう自分を自覚してしまった。

この特別だと他人から認められることに強い喜びを感じることもまた、私が心理職・教職を断念した一因である。

目の前の困った人間を見て高揚感を感じるような感性を持ってしまった醜い人間が対人援助職につくのは、自分でも言うのも変だが危険である。そう感じるからこそ、こうやってブログで個人的な見解を書く程度の距離感にとどめているのだろうと自己分析している。