私がかつて関わってきた人の中に、発達障害の一種であるADHD(注意欠陥多動性障害)を自称し、まるでセルフブランディングのように「俺ってADHD気質なんだよね~」という社会人の男性がいた。
詳しく聞いたところ、その人(以降Aさんとする)は正式に病院で検査を受けたわけではなく、あくまでもネット上にあったチェックリストで自己診断しただけに過ぎないとのこと。
たしかに言動はADHDのように落ち着きがなかったり、飽き性で興味のあることがコロコロ変わるので、自称でもADHD出ることが全くの嘘デタラメとは断定しにくい。
しかし、なんだかADHDを盾にして言い訳を繰り返していたり、自分は平凡な人間とは違う才能や特別な魅力を持っている人間だと誇示したい欲求が強い人のように思えて、非常にモヤモヤした気持ちになることが多かった。(直截に言えばウザかった)
今回は、そんな自称ADHDな人に対して感じることを説明しよう。
「自分はただのうっかり者ではなくてADHDなんだ」と言い訳と自己正当化をしたいのではないか?
まず、私は親戚にADHDの男の子(診断済み)がおり、その子と関わる中でADHDとはどういうものなのかについて勉強と経験を重ねた…という経歴がある。また大学時代にも教育学部課程で発達障害に関する講義を受けており、一通りの知識は持っていた。
そんな背景もあってか、自称ADHDのAさんの言動はたしかにADHDに通ずるものが多かったが、私にはどこかAさんが言い訳や自己弁護、自己正当化のために「俺ってADHDなんだ~」と言っているように聞こえてならなかった。
たとえば、仕事の連絡漏れ&遅れが何度も続いて催促した時に、謝罪よりもまず自分がADHDであることを告げられたときに、強い違和感を覚えたものだ。
まずは謝罪すべきだろうし、ADHDだからと言って罪が軽くなるようなこともない。ましてやADHDだからといって特別扱いしようものなら、それはAさんのためにはならない。さすがに怒ったがそれでもADHDであることを時折話題に出してきて、改善は見られなかった。
自称ADHDだからといって自分のいたらなさを大目に見てもらえると思うのは誤りである
とはいえ、こうした態度は発達障害の人を追い込む情け容赦ない人間に見えてしまうかもしれない。
しかし、私が心を鬼にしたのはADHDの親戚の子がしっかりと療育を受けて社会に順応している様子を間近で見てきた経験が大きく影響している。
親戚の子は小学生の頃からADHDである自分をうまくコントロールする術を身につけて、学校やバイト先でうまく馴染めている。それはたいへん素晴らしいことだと贔屓目抜きにして感じている。
しかし、Aさんの場合は不注意の多い自身の言動をコントロールできていないし、それに対する反省や謝罪よりもまず「自分ADHDなんで」と言い訳が先に出るのが見るに耐えなかった。
その結果、私と衝突をしてしまった。ちゃんと療育を受けて改善した親戚の子と違い、「自分が自分が」という姿勢で他人を振り回すし反省もしない。年齢もまだ20代半ばと若くて改善の余地が十分にあるのに、そんな若い頃から自分を改善しない方向に舵を切ってしまうことに、強い違和感を覚えてしまったのだ。
一言で言えば「他人の善意に甘えないほうがいい」と言いたかったが、さすがにAさんには言わなかった…というか、言って発達障害に偏見を持っていると主張されそうになったら面倒なので言わなかった。
「何者かになりたい」という願望を満たしてくれるのがADHDの概念なのでは?
また、Aさんと関わる中で感じたのが「平凡な人には見られない何者かになりたい」という願望が強い人だということだった。
Aさんと私は当時は広告系の仕事をしていた繋がりで出会ったこともあってか、人に対して何か影響を与えたいとか、影響を与える作品や商品を作りたいという願望については理解できるところがあった。
ただAさんの場合は、そのために努力をしたりひとつのことを継続するのが飽き性兼自称ADHDであるがゆえに苦手としていた。
一方で、ADHDのように先天的なものを快く受け入れる傾向があった。つまり、努力をせず楽に才能や能力があると思い込める概念や、そもそも生まれながらにして天才と呼んで問題ない概念としてふさわしいADHDに、強い執着心を持っているように私は感じてならなかった。
なお、あまり若者らしくない厳しい言い方をすれば、楽して才能が欲しいとか、社会的な成功を手に入れたいという考え方は、実に才能とか社会的成功から程遠い考え方だと思う。
生まれながらにして先行き不透明な時代を生きてきた影響もあると思うが、とにかく試行錯誤を嫌がり、何かに挑戦すれば一発で成功できる…そんな、何事にも効率、コスパ、合理性を求めたがる若者の浅ましい部分を自称ADHDのAさんにも感じたというのが率直な感想である。
過集中に対して強い憧れがある自称ADHD
最後に、AさんはADHDに見られる過度に集中力のある状態、つまり「過集中」に対しても強く憧れていることがあった。
しかし、普段からだらしがなく注意力散漫になっていたAさんのことを見ていると「本気出せば俺はしっかり仕事をこなせる人だから」と主張したいがために、過集中状態に強い憧れを持っているように思えてならなかった。
また過集中状態は、いわゆる発達障害ではない普通の人には見られない行動である。そういった点もまた、普通の人にはない特別な才能…それも社会的な成功をとにかく手っ取り早く手にしたい願望が強いAさんにとって、非常に魅力的に見えたのかもしれない。
余談だが、Aさん含めて何か特別な人になりたいという意識の高い人は、どうして坂本龍馬に憧れるのだろうか…謎である。