「優しい人には悲しく辛い過去があるはずだ」という思い込みが危ない理由

メンタル・心理
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よく「優しい人には過去に辛い出来事に苦労した。その結果他人に対する思いやりや気遣う心が身に付いた」という類の言説が支持されることがあるが、私はこの言説を素直に支持することはできない。

むしろ、この言説を支持して「あなたの優しさは過去に辛いことがあって、それを乗り越えたから身に付いたのですね」という態度を取ることは、はっきり言って上から目線な態度であり、相手に対して単純に失礼な行動であると考えている。

勝手に他人に不幸をわかった気になって、そしてそんな他人の不幸に共感して気持ちよくなって自己陶酔している人を見て、快く思わないのは無理もないだろう。

今回はそんな「優しい人には悲しく辛い過去があるはずだ」という思い込みについての個人的な見解を語ろうと思う。

 

優しい人への不信感を消せるのが「優しい人には悲しく辛い過去があるはずだ」という考え

私達人間は、自分に対して優しい人が現れた時に「この人が自分に優しくしてくれる根拠や原体験はなんだろうか?」という、優しさに対する理由を求めがちだ。

確かに他人から優しくされるのは気持ちがいいが、一方で出処のわからないお金を他人から受け取るのと同じく、どういう経緯で自分に優しくしてくれるのが見えてこない相手に対してはその魂胆を探ろうとしがちだ。

その時に好都合なのが「優しい人には悲しく辛い過去がある」という、理由としてすんなりと腑に落ちやすいストーリーチックな言説である。

「辛い過去によって他人を思いやる習慣が身に付いた…結果、この人は私に対して優しく接してくれているのだ」という、納得しやすい優しさの根拠が理解できた。それにより、自分に向けられる優しさ、そして優しさを振りまく人に対する不信感やストレスを感じなくて済むのだ。

 

「優しい人には悲しく辛い過去があるはずだ」という思い込みを悪用する人たち

そして、この仕組みを応用して行われるのが、詐欺や悪徳商法への勧誘である。

えてして、胡散臭い商売をしている人は、過去の不遇な自分の半生…例えば、貧困、虐待、孤立、いじめ、パワハラ、うつ病など精神を病んだ経験、失恋、受験の失敗、他人に騙された経験、不細工やデブなど容姿に関するコンプレックスなど、自分がいかに不幸で恵まれない人生を歩んできたかを語ると同時に、勧誘対象に対して不自然なほどに優しく振舞うことがある。

ここで「いくら辛い人生を歩んできたとはいえ、この優しさは怪しすぎる!」と思えればいいのだが、カモになりやすい人は「散々不幸な人生を歩んできたのに、腐らずにこれだけ他人に優しくできるるのか…なんて素晴らしい人なんだ!」と、相手をまるで成人であるかのように感じてしまい、信じ込んでしまう。

こうした胡散臭い人たちがよく辛い過去を語りつつ優しい素振りを見せるからこそ、私は「優しい人には悲しく辛い過去があるはずだ」という思い込みを持つことが危ないと感じている。

とくに社会不安が増しつつある現代では、過去の不幸は一種の他人の共感を呼ぶ話題であり、気軽に(というのはなんか嫌だけど)話せる話題であろう。そんな暗いご時世だからこそ、より一層辛い過去の自分語りをしてくる人には、用心すべきだと考えている。

 

悲しく辛い過去のせいでひねくれる、人間不信に苦しみ続ける人もいる

また、辛い過去を経験しても結局のところ他人に優しくなれない。むしろ以前よりも人間不信になったり、性格がひねくれてしまって、およそ優しいとは程遠い人格の持ち主になってしまう人もいるものだ、

「辛い過去があったからこそ、その人がなんとか優しい人になれて不幸な状況を脱して欲しい」と思いたくなる気持ちはわかるが、みんながみんな不幸を乗り越えられるほど強い人間ではない。

とくに、私自身が学生時代に虐待や育児放棄を受けた子供と関わることがあったが、その子達の中でも人に対してなかなか心を開かないままの状態の子や、周囲の子といつも喧嘩を起こすという事例を見てきた。

話を聞いた限りは問題を起こしていた子達は、過去と比較するとかなりマシになったとのことだが、それでもなお過去を乗り越えられずにいたようであり、たびたび問題を起こしていた。

そんな子達と関わる経験があったからこそ、辛い過去がある人に「この経験のおかげで優しい人になれるよ」という態度で接することは、どこか綺麗事のように感じて素直に肯定できない自分がいる。

 

普通に優しい人に勝手に悲しい過去を見出して変に思われてしまうリスク

冒頭でも述べたが、(あまりいないとは思うが)いま優しい人に対して「あなたは過去に辛い出来事があって、それを乗り越えられたからこそ、いま他人に対して優しくできているのですね」という態度で接してしまうことは、勝手に他人のことを知った気になっている痛い人であろう。

言い方は悪いが、勝手に他人に不幸な出来事があると決めつけてしまうナチュラルな失礼さ。そして、自分はそんな辛い過去を持つ人に勝手に共感して酔っている痛さ。そして、そうした失礼さ痛さを自覚できていないことで感じる不信感…など、たとえ悪気なく言っているのだとしても、あまりにも無神経な人だと私は考えている。

優しい人に対してポジティブな決めつけをしているとはいえ、所詮は相手を深く知ろうとせず決めつけて自分の中で納得しているだけだ。こういう姿勢で他人と関わろうものなら、いくら心の清い人間であっても、次第に疎まれていくのは仕方がないと思う。