自己紹介や就職活動の自己PRで自分で自分を「優しい性格です」という人に対して、どことなく良い印象がないというか、そもそも印象にすら残らず数分もすればその人のことを忘れてしまう…という経験をしたことがある人は、きっと少なくないと私は思う。
かくいう私も自分で自分のことを優しい人と言ってたことがあったが、どうも周囲からの評判は芳しくなかった。
むしろ、いてもいなくても同じな空気みたいな存在というか、透明な存在になったかのような気分を味わったし、なんとなくだが「自分はひょっとして、いわゆる残念な人認定されているのだろうか?」と自分で自分を疑うこともあった。
今回は、そんな優しい性格だと主張することに付きまとう残念感について個人的な見解をまとめてみようと思う。
「自分は優しい性格です」に付きまとう残念な印象の理由
自分で自分を優しいということに付きまとう残念感の正体だが、私が思うにこれは自分にはとりわけ長所と呼べるものがないし、長所と呼ぶに値する魅力なり経歴なりを身に付ける努力をしてこなかった。
そんな、長所らしい長所もなければ、長所を身に付けるための地道な努力をしてこなかった、彩のない無職…じゃなくても無色透明な人生を歩んできた人間が唯一名乗っても違和感のない長所が「優しい」なのである。
もしも、長所が「英語が話せる」のなら、当然ながらどこかで英語を習う必要がある。場合によっては留学や海外の大学に進学するなど、多くの学生とは別の道を歩むという一世一代の挑戦に出た結果として獲得した立派な長所として、堂々と他人にアピールできよう。
しかし、「優しい」の場合は特に何か努力をすることはまず要らない。人生で何か努力らしいことをしておらず、ただなんとなく周りに流されてぼんやり生きてきただけの人でも、自称すれば簡単に名乗れる。
そう、優しいという長所は自称した時点で簡単に手に入るなんとも虚しい長所なのだ。
「優しい性格が長所=無」なので印象に残らない
重ねていうが、「優しい性格が長所」何か人に誇れるような経験や努力をしてこなくても、名乗った時点で獲得できるという虚無感にあふれる長所であるため、自分で自分を優しいという人はどうも印象に残りづらいのだ。
考えてもみよう。「自分は優しい部分が長所です」という人、つまり「自分は無が長所です」という人に対して抱く印象は「無」そのものである。ある意味インパクトがあるので印象に残るという可能性もあるが、自己紹介で「無」だと主張する人にプラスorマイナスの印象を見出すのはかなり難しい。ストレースに受け取れば「無」そのものなので、印象に残らないのも無理はない。
等の本人は「優しいことがどうして認められないのだろうか」と思い悩むかもしれないが、それは自分で自分を「無」だと主張しているのが認められない最たる理由である。
真面目、大人しい、落ち着いているも「無」なので印象に残らない
優しい以外にも
- 真面目
- 大人しい
- 落ち着いている
という特徴も、自称すればお手軽に獲得できる「無」の長所のいい例である。どれも、ぼんやりと人生をただただ植物のように生きてきた人であっても、問題なく名乗れる虚しい長所だ。
また
- 他人から「真面目だね」と言われる事
- 自分から言う「真面目です」と言う事
の二つでは、前者のほうは好印象だが、後者の場合は残念感が強く印象に残りづらいものである。
それもそのはず、他人という自分の力ではどうにもできない存在から認められる長所は(自称するよりは)まだ客観的なものであるし、説得力もある。
それも多くの人から「真面目だね」と言われれば、それは虚しいどころではなく立派な長所になる。真面目だねと自然に言われるぐらいに、日々の生活で努力や研鑽を積み重ねてきたであろう事を見た人がおり、且つ他人が評価しているからこそ、真面目という言葉に残念感がないのだ。
しかし、他人から真面目だねと言われることもなく、努力もせずなんとなく生きていた人が口にする真面目には、当たり前だが説得力は伴わない。むしろ、ここでいう真面目は「自分の人生は虚無そのものです」と暗にほのめかしているのと同じなので、残念感が強まるのだ。
「優しい」は一番の長所にしてはいけない
こう書くと優しいにしろ、真面目にしろ、それを長所だと自負している人に対してあまりにも夢も希望もないので、最後に私なりに考えたそれらの長所の見せ方について書いておく。
まず、優しいことを長所だと思っている場合、それを自分の一番の長所にしてはいけないことである。
優しいというのはあくまでもサブの長所であったり、ここぞいう時で出す切り札の長所にする。あるいは、長所だと思うだけにとどめておき、口にしないようにすれば残念感を抑えられるのだ。
自分の長所を聞かれた時に、馬鹿真面目に「優しい」と口にせずほかの長所を用意しておく。そしてその長所に付け加えて「優しい」ことをそれとなくアピールするのが、賢い振る舞い方である。
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