顔や表情、言動から胡散臭い人を見分ける方法について

人間関係・コミュニケーション
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この記事では、関わっているうちに人を騙す、誤解させる、錯覚させるなどしてしまう、いわゆる胡散臭い人の顔つき、表情や言動から感じる胡散臭さの根拠に個人的な見解を述べている。

何かの参考になれば幸いではある…が、当然この記事に書かれていること意外にも胡散臭さの根拠になることは多々あるので、この記事に書かれている要素がないからと言って油断しないことこそ、胡散臭い人に巻き込まれないためには重要である。

 

話している時の目元と口元の動きが連動していない

よくあるのが口はにこやかそうに見えるが目が笑ってない、あるいはその逆で目元はにこやかだが口元は硬い印象を受ける…というように、目元と口元の筋肉の動きが連動していないという特徴がある。

「目は口ほどに物を言う」ではないが、いくら口元で笑顔になっても、心から楽しいと思うことがなければ、それは目元に出る。なお、こうした目元の不自然さを隠すために、笑うときは目を完全に瞑ってしまうことで、違和感を打ち消す…という対策をしていることもある。

話を戻して、連動しないのはおそらくだが、普段から自分を演じたり偽ったりするような場面が多く、心身ともに自然体で人と会話することが少ない。顔の筋肉が自然に連動して動くような時間、人間関係が少ないからこそ、目元と口周りの筋肉がどうも噛み合わない状態が染み付いてしまっているのだろうと私は推測している。

とくにセミナー業やコーチング・カウンセリング業のように、人前で何かしらのキャラクターを作る(=自分を偽る)ような仕事をしていると、このような噛み合わない表情になってしまうのだろうと個人的には考えている。

…とつらつら書いてきたが、要するにこれは「目が笑っていない」という状態の私なりの解説である。

 

※もちろん、この手の表情のかみ合わなさは訓練次第で解消できるものだ。実際に就職活動の時に面接時に自分がどう見られているのかを確認するため、実際に模擬面接をしてその時の自分の話し方や表情・姿勢などを客観的に確認した…という経験は、しっかり就職活動の準備をしてきた方であればあろうかと思う。

 

話すときの抑揚のつけ方、間の取り方が不自然である

胡散臭い人は話の内容どうこうよりも、話すときの抑揚のつけ方、間の取り方がどうも不自然になる傾向がある。

具体例としては

  • 話す際にひと呼吸入れず一度に話そうとする結果、声のボリュームが変動しすぎる、声が裏返る…などの不自然な部分が生じる。
  • 話している時に、急に黙るor静かに喋る。かと思ったら、いきなり声のボリュームを上げて妙に聞く側の神経を揺さぶるかのような話し方をする。まるで、不協和音を耳にしたときのようなゾワゾワとした感覚になる話し方をする。
  • ある一定の単語(とくに不安や危機感を煽るもの)を言うときのみ、急に語調が強くなる。表情に力が入る。

というようなものがある。

個人的な憶測になるが、胡散臭い人は話す内容に対してしっかり吟味できるような人は最初から眼中になく、

  • 不自然な話し方にホイホイ引っかかるぐらいに精神が弱っている人。
  • 不自然を不自然と見抜けないぐらいに世間知らずな人。
  • 話の内容どうこうよりも、話すときの雰囲気や空気感に簡単に飲み込まれてしまう程に自他の境界が薄い人。

を意図的に選別するために、このような話し方をしているのだと思われる。

 

余談だが、この不自然な話し方のルーツは、推測になるがプレゼンやスピーチの指南本に書かれているものだと思われる。

つまり、まともに働いている人であれば「あ、この人スピーチの本に書かれていることを実践しているだけだな」と勘づくので、少なくともその場の雰囲気に飲み込まれる確率は減る。

逆に、まともに働いていない、あるいはスピーチが必要な場面がないような働き方・立場の人であればそのことに気づけず「この人はなんかすごいことを言っている!」と感じてその場の雰囲気に飲み込まれる。加えて、傾向として後者のほうがいわゆる情報弱者のような人が多いので、効率的に情報弱者を巻き込むための話し方が、上記のような不自然な抑揚・間の取り方なのだ。

 

1人称がコロコロ変わる

これはとくに男性に多いのだが、話しているときに「僕」「私」「俺」と一人称がコロコロと変わり統一されていない話し方をする傾向が、胡散臭い人には多い。

とくに、最初は「僕」or「私」で話していたのに、途中で「俺」に変わるパターンは、自分を過度によく見せようとしたがる胡散臭い人に目立つ。

もちろん、こうなるのは純粋に自分を演じる癖からくるものという考えもできるが、一方で偽りの自分(私や僕)ではない素の自分(俺)を垣間見せることで、親近感を湧かせようとする思惑があるのかもしれない。

ただし、私が思うに意図的に親近感を持たせようとするところに、どうも人としての距離感の取り方の不自然さ、地雷臭がにじみ出ている。

上手く言葉にしづらいが、一気に心理的な距離を詰めてくるようなものがあり、何かしら人間関係で躓くような要素を抱えながら生活している。その一端が一人称がコロコロ変わるという行動に現れているのではないかと推測している。

 

 

理由もなく優しい

最後に、胡散臭い人の中には、とにかく優しい。意味もなく優しい。気色悪いぐらいに優しく接してくる傾向がある。

もちろん、身の危険を感じるような表情や態度で接してくるタイプの胡散臭い人もいるが、それとは反対に理由のない優しさを見せて、目元と口元がちぐはぐな笑顔を見せて優しく迫ってくるタイプの人もいる。

直感的に「なんかこの人の優しさは変だ」と感じるような優しさをまとっているのだ。

これについては以下の記事などで詳しく解説しているので、時間があれば参考にしていただきたい

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