「期待しなければ傷つかない」と考える人の問題点を説明する

人間関係・コミュニケーション
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人間関係に悩みがちな人は「人間関係は期待しないようにすべし。そうすれば悩みから開放される」という類の圧が強い言葉に非常に弱い傾向がある。

また、その手のメッセージを発している自称ビジネス系インフルエンサーであったり、ビジネス書や動画だったりを熱心にありがたがる傾向がある。

もちろん、過度な期待をしなければ人間関係のわずわらしさからは開放される。勝手に期待して勝手に裏切られて傷つく経験は減るというメリットはある。

しかし、私は「期待しなければ傷つかない」という考え方は、そこまで万能なものではないと考えている。今回はこのテーマについて個人的な見解を述べてみる。

 

自分が傷つかないことばかりを考える自己中心性の強さが災いして人間関係がうまくいかない

私が思うに、「期待しなければ傷つかない」という言葉を愚直に実行しようとする精神性や、期待して傷つくことを過度に回避したがる精神構造そのものに問題があると見ている。

要するに、人間関係で自分のことばかりを考えてしまう自己中心性の強さが、人間関係における諸問題であったり、社会で生きていく中での生きづらさを生み出しているのだ。

重ねて私個人の意見になるが、どうもこの手の人はどこか人間関係を自分の願望を邪魔するようなもののように思っている傾向が見える。

自分が中心でありたいのに、現実の人間関係ではその願望は叶わないことで不満を抱えてえいる。つまり、自分が中心となって意のままに周囲を操作できうる関係にならないことに不満を抱え続けている。そして、たどり着いたのが「人間関係には期待するべきではない」という主張なのだ。

その主張は、今まで散々不満を抱えてきた人には、まさに神の啓示のように思えるかも知れない。が、そんな言葉を鵜呑みにしても、結局のところ自己中心的な考えの強さがマシになるようなことはない。

そのため、仮に人間関係をスパスパ切ることに成功したとしても、今度は人間関係以外のところで勝手に期待して、勝手に傷つく…という一連の流れを繰り返してしまいがちなのだ。

 

他人に期待することで得られるメリットに対する鈍感さが、関わる人にも影響を及ぼしている

どうも「期待しなければ傷つかない」と考える人は、自分が損をすること、傷つくことには敏感だが、実は自分が特をしていることや、何かしらの恩恵(利益、満足感、優しさ等)を受けていることに対して鈍感な傾向がある。

もしこんな性質の人と関わるとなれば、文句や不満を言われることは多々あっても、褒められたり感謝されることはない。

関わるとなればほぼ高確率で面倒なことになるのが予想できてしまうからこそ、まっとうな社会経験や対人能力のある人は距離を置くようになる。同時に、そういった経験・能力がない人が集まる傾向がある。

嫌な言い方になるが、類は友を呼ぶということわざのように、同じくデメリットの部分にばかり注目して、メリットの部分は見えないような人ばかりが集まり、気が付けばギスギスした人間関係を構築してしまいがちになるのだ。

 

能力の低い人ほど「期待して傷つく」→「他人に期待しないを繰り返す

主観的な話で恐縮だが、学力、対人能力、(男女関係無い)見た目の美しさ、仕事での役職や立ち位置など、いわゆる努力によって獲得できる能力のある人よりも、能力のない人ほど「期待して傷つく」→「他人に期待しない」を繰り返す傾向があるように感じる。

努力して何かを獲得した経験のある人は、当然ながら努力が必ず報わるとは限らないし、報われる過程で理不尽や不条理など、自分ではどうにもならない不運に見舞われる経験をしてきているものだ。

だが、そういう不運にもめげずに努力して何かを獲得してきた。そういう経験を通して「(他人に)期待してもそれが必ず叶わないとは限らないし、ある程度期待通りにならなくてもそれは仕方のないことだ」とモヤモヤとした感情を処理することを、身を持って学習してきたのだろう。

いい年して「男子」だの「女子」だの、この手の言葉をまぁ臆面もなく言う人が珍しくない昨今では時代錯誤な表現になるかもしれないが、苦労を重ねて「大人」になったと言えよう。(まぁ、純粋に他人に期待するより、自分で未来を切り開いていったほうが早いという学んだ可能性もあるとは思う。)

 

一方能力の無い人は、そういう知見を得るための経験をしてきていない。体は大人かもしれないが、精神面が「大人」とは言い難い。

つまり、精神年齢が実年齢以上に若いため、「人間関係には期待するべきではない」という、見ようによっては常識はずれで極論にも思える主張を鵜呑みにしてしまうのだ。

 

 

最後に

「人間関係には期待するべきではない」という言葉は、いわば人を惑わす甘い言葉の一種である。

自分自身にも反省点がある…もっと言えば、自分の人格とか、生き様とか、そういう自分という人間の根本の部分に反省すべき点がある。ただ、それらを振り返るとなれば苦痛を伴うのは明白である…のに、敢えて根本の原因に目を向けさせようとはしない。

そういう誰かのタメになるように見えるが、実際は誰かをダメにしかねない取り扱いが難しい言葉が「人間関係には期待するべきではない」なのだと考えている。