人間関係を断捨離したがる人のダメな点を説明する

人間関係・コミュニケーション
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最近は人間関係リセット癖のことを、人間関係の断捨離と前向きに言い換えるシーンが増えていると感じる。

やっていることはどちらも人間関係を切るという(けっこうデリケートな)行為なのだが、私はこの手の人間関係を自分から切ろうとする人に対して、正直良い印象を持つことができない。

今回はこの件について個人的な見解を語ろうと思う。

 

人間関係を断捨離したがる人は「振られる前に振る人」と同じ

人間関係を切ろうとする人は他人から絶縁されてもおかしくないような問題行動をしており、そのせいで居場所がなくなる傾向がある。

例えば、わがままで自己中心的な言動が多くて他人を振り回す。まるで他人を自分の所有物であるかのような軽んじている態度を見せることが目立つ。

そんな調子なので、次第に人間関係で衝突したり居づらさを覚えることも目立つ。今いる人間関係のなかで「そろそろ距離を置いた方がいいかな」と関わる人がうっすらと感じるようになってきた場面になると、人間関係を切ろうとする人は自分からその関係を捨てようとする傾向がある。

この行動を見て思うのは、人間関係を切ろうとする人は、まるで恋人から振られる前に振る人そのものである…ということだ。

他人から「あなたとはもう関わりません、さようなら」と絶縁を突きつけられるよりも前に、自分の方から人間関係を切ろうとする。

その行動は、自分が他人から関係を切られるような問題のある人間だと言われることを避けているように感じてならない。

 

「自分から人間関係を切った」と思えばプライドは傷つかずに済む

振られる前に振る人は、自分が恋人にふさわしくない人間であるとか、付き合うのが難しい人間だと相手に告げられて自分のプライドが傷つくことを強く恐れている人間である。

かと言って、恋人との関係はいつ切れてもおかしくない状況である。そんな状況だからこそ、相手に別れを告げられて自分が傷つく前に、自分の方から別れを切り出すことで自身のプライドの傷つきを回避しているのだ。

これと同じことが人間関係を切ろうとする人にも当てはまる人間関係を自ら切る人は、現在関係がある人から嫌われているだとか、疎まれているだとかを突きつけられて、自分のプライドを傷つけられることに強い恐怖を感じている。

しかし、今の関係に居続けてもそう遠くない未来に関係が消滅してしまうのは明白である。となれば、他人から関係を絶たれる前に自分から関係を絶ってしまえばプライドの傷つきを未然に回避できる。だから、人間関係を自分から積極的に絶っているのだ。

 

…ただし、こうした姿勢では自分の肥大化したプライドや打たれ弱さを改善することができないのは明白である。

そして、自分から人間関係の雰囲気を悪くしておいて、居場所がなくなったらすぐに去っていく…という迷惑極まりない自分勝手な言動が改善されることもなくなる。

つまり、また新たな関係にうまく馴染めたとしても、そこでも同じように雰囲気を悪くするだけして、居心地が悪くなったり関係を簡単に捨ててしまうという人間関係リセット癖が直らない状態に陥いてしまうのだ。

 

自分は他人を切るような怖い人だと見られないために「断捨離」という言葉を使ってごまかす

純粋に考えれば、人間関係をバッサリ切る人に対してあまり良い印象は持ちづらいものだ。

まるで自分の気に入らない人間を粛清する独裁者のように、高圧的で情け容赦ない恐ろしい人だと感じてしまうのも無理はない。

それを理解してか、人間関係を切りたがる人は自分は優しい人だとか、賢い人だとか、時代の最先端を走る人だとか…という具合に自分をいい人っぽくブランディングすることをよくする傾向がある。

その一つとして物事をポジティブに言い換える方法がある。つまり「断捨離」という言葉を使って、人間関係を切る行為から受ける印象をポジティブなものにしているのだ。

ただし、断捨離が要らないものを捨てるということを表している以上は、人間関係の断捨離は一見すると意識が高そうに見えるかもしれない。

しかし、実態は人間関係を捨ててもいいゴミのように扱っている危険な考えの持ち主だとも解釈できる。つまり、ポジティブな印象をどころかむしろネガティブな印象を強めていると解釈可能である。

 

人間関係を取捨選択できる立場にいると思っている点が純粋に「痛い」

私が人間関係を断捨離できる人に良い印象を持てない理由としては、自分は人間関係を取捨選択できる立場にいると思い上がっているように見えてしまうからである。

自分は他人よりも偉いだとか、他人を自由に支配できる立場だとか、他人を統率出来るだけの影響力があるだとか…など、人の上に立つ人間であると考えている。

しかし、実際に人の上に立つとなればそう簡単に他人を切るような真似は、まずしないものだ。仮にしようものなら独裁者かと思われてしまうし、リーダーシップや人間性を疑われる。

人の上に立つ者だからこそ、関係を切る・切らないという極端な二元論に陥らず、上手く調整したり協力する姿勢を持つことこそ人の上に立つ人の取るべき姿勢であると私は考えている。

そうした考えがあるせいか、人の上に立ってもいないのに「自分は人間関係を取捨選択できるから、遠慮なく断捨離する」という人は、見ていて「痛い」と感じることが多い。

 

人間関係を断捨離したがる人は高確率で他人からも嫌われています

最後に、人間関係を断捨離したがる人は他人に迷惑な言動をした当然の結果として嫌われているもパターンが多い。

にもかかわらず、当の本人は「自分は周囲の人からいきなり嫌われたかわいそうな人なんです」と被害者の立場に居座って、仕方なくその関係を離れるほか無かったという姿勢で、人間関係を断捨離したがる。

「自分は悪くないし、むしろ自分の要求(わがまま)を受け入れてくれない周囲の方が悪いんだ」という姿勢を持ちながら、断捨離する人が多いと感じる。

こうした「自分が!自分が!」という自己中心的&他責思考な考えは、過剰な個人主義に陥っている人が行き着く先なのだろうかと思う。