ビジネス系・自己啓発系youtuberのファンと関わりたくない理由を語る

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最近仕事において、いわゆるビジネス系youtuberにハマっている人と危うく関わることがあった。

「危うく」とあるように、実際は「あ、この人○○大学とか勝手に自分で大学を名乗っているyoutuberの人の投稿を頻繁に引用しているヤベーやつだ」とわかった時点で、丁重に関係のお断りを申した。

何故「ヤベーやつ」と感じたのか。そして、どうしてこのような対応をとったのか。今回は、そんなビジネス系・自己啓発系youtuberのファンと関わりたくない理由について、私の個人的見解を語ろうと思う。

 

とにかく金、人脈など短期的な利益を求める部分に危うさを感じる

ビジネス系youtuberにハマる人は、とにかく金や人脈など、短期的な利益ばかりを求める部分が強い。

もちろん、そういう向上心をもつのは否定しないが、どうも向上心が高まりすぎている。とにかく手軽に、効率よく、そして簡単に、できれば今すぐ利益が欲しい…という、現実的ではない考えを持つ傾向があり、地に足がついていない。

嫌な言い方になるが、妙な意地汚さがあるため、ふとしたときに目先の利益の為に他人を泣かせるような事をやりかねない…そんな危うさがあるからこそ、仕事はもちろんのことプライベートでも関係を持ちたくないと思ってしまうのだ。

なお、露骨に「金」「人脈」みたいな態度を出すことは稀で、大抵は「副業」「自己投資」「好きなことを仕事に」「自由に生きていく」のように控えめな言葉を使う。

しかし、胡散臭い人や集団に対して知識がある人なら、この手のワードは情報商材を売っている方々がよく使うものと同じであることに気づく。つまり、目の前にいる相手が胡散臭い方々の影響を強く受けてしまっている人だと推測できてしまうからこそ、関わるべきではない人物だと判断するのだ

 

 

目と表情が不自然で不気味さが拭えない

実際に会ったり、動画などで顔を見たときに限定してわかるのが、目と表情の不自然さである。

胡散臭い方々特有の目に力はあるが、どこか焦り、苛立ち、怯えのような緊張感を漂わせているもので不気味さが拭えない。

キラキラとしているようい見えて、ギラギラとしている目つき。しかし、ギラギラというには目力が過剰で、一言でいえば悪霊的な何かに呪われているかのような不穏な目つき。

そんな目つきとは打って変わって口もとは元気のよいニッコリとした笑顔…という、不自然さ、アンバランスさに強い違和感を覚えるからこそ、関わるのをやめようという気持ちになるのだ。(非常に複雑な表現になって申し訳ない。)

また、このような不自然な表情を人前でしてしまうこと、そしてその不自然さに自分で気づいていないであろうこともまた、関わりたくないと思う理由のひとつだ。

 

 

全体的にモラルが無く関わる相手としてはリスクが大きすぎる

ビジネス系youtuberにハマる人は、仕事・プライベート関係なくモラルや常識の部分に問題があり、普通に関わる相手としてはふさわしくないと感じてしまう。

私の持論で申し訳ないが、モラルはその人がどのような人生を送ってきたかを示すものである。つまり、その人の生育環境、交友関係、職歴、趣味嗜好など、長年の蓄積によってモラルは形成される。いわば、モラルとはその人の人間性そのものであるのだ。

これを踏まえると、(ひどい表現なるが)「モラルに問題がある=人間性に問題がある」となる。

上でも述べたように利益に対して妙にアグレッシブで、目先の利益のためなら人を泣かせる行為すら厭わない姿勢に危うさを感じてしまうのも、モラル…つまり人間性に問題があることが原因だと考えれば納得できる。

 

なお、ビジネス系youtuberの投稿の中には、常識を否定する内容のもの(例「大学は不要」「会社員は仕事ができない」)など、常識に不満を持ちそうなモラルの無い人々が喜ぶようなものが目立つ。

そういうモラルの無い人を増長させるようなコンテンツにハマっている人は、(自分で言うのもアレだが)標準的なモラルを持っている私から見れば、関わりたくないタイプの人間の筆頭格と言える。

 

 

「ビジネス系youtuberにハマる人と同じ」と思われたくない

最後に、私自身が「ビジネス系youtuberにハマる人と同じ」だと思われたくないからこそ、ビジネス系youtuberのファンであるとわかった人とは、あまり深く関わろうとしていない。

こう思うのは、かつて私が意識高い系の学生として学生による団体活動やセミナー参加などに傾倒していたという恥ずかしく忌々しい過去があったからであろう。一種の同族嫌悪に近い感情があると言ってもよい。

ビジネス系youtuberのコンテンツは、たしかにある種の人にとっては魅力的である。視聴するだけで自分が偉くなった、人間的に成長した、世の中の本質を理解して賢くなった…と錯覚できるのが、魅力の一種である。

しかし、それはあくまでも錯覚でしかない。そんな錯覚を錯覚と自覚できず、増長しているようなう人々の姿を、昔にうんざりするほど見てきた。そんな呪われた学生時代の経験が「あ、こいつヤベーやつだ」という感覚の基礎になっているのだと分析している。