SNSでのお気持ち表明がなぜ炎上しやすいのかについての考察

インターネット
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主にtwitterをはじめとして、世間や社会に対して何らかの自分の気持ちを表明することを、ネットすスラングで「お気持ち表明」と呼んでいる。

  • 表明する気持ちの内容や
  • お気持ちを表明する相手・対象・集団
  • お気持ちの表現手法(文章、動画、イラスト、漫画…など)

によりけりだが、ことtwitter上ではお気持ち表明することに嫌悪感や違和感を抱くユーザーが多く、炎上の火種になることが多いと私は感じている。

もちろん、炎上とはいえ否定的な意見のみならず、賛成の意見も多々あり、賛否両論入り乱れてバズる…と表現したほうがふさわしいかもしれないが、この記事ではあえて炎上と表現した上で、なぜお気持ち表明が炎上しやすいのかについて、個人的な意見と見解を述べたいと思う。

 

お気持ち表明が炎上しやすい理由

デリケートな話題且つ一方的な主張である

ここでいうデリケートな話題の例を挙げるとすれば、ジェンダー、貧困、差別、偏見、固定観念、社会常識、政治、思想、金に関する話題、生きづらさ、社会的弱者およびそれに近い立場にいる人に関する話題…などがある。

そして、このような日常会話の中でもあまり口にしない(というか、口にしないほうが荒事にならず無難な)話題に対して、一方的な意見を述べることがお気持ち表明にはよく見られる。

しかし、ここで特徴的なのがただでさえデリケートな話題に対して持論を述べる際に、あくまでも弱気な姿勢を貫く。

つまり「私は、(例えば貧困問題に対して)こう思っているんですけど…」とか「若者の貧困問題には○○(偏りが顕著な考え)をすれば、社会は良くなると思うんですよ~」と、控えめに言う。

こういった解釈は私自身ひねくれた意見だと自覚しているが、なんとなく反論や異論が来ないように、どこか予防線を張るような姿勢で意見を述べる煮えきれない姿勢に対して、狡猾さを感じてしまうことが炎上の火種になってしまう。

つまり、堂々と自分の意見を述べず、あくまでも「配慮して」「汲み取って欲しい」「共感して欲しい」という、低姿勢だが相手に過剰な要求をする様にモヤモヤとした結果、炎上を巻き起こすのではないかと考えている。

 

お気持ち表明をする人が傍観者すぎるor主語が大きくなってツッコミが入っている

例えば

「花火遊びを禁止している公園であろうことか花火をするだけでなく、インスタ映えする写真撮影に夢中になっている若いカップルを見かけた。最近の若い人たちは花火が禁止されている施設で花火…もっと言えば火遊びをすることに、なんら疑問を抱かないところにがっかりした。もし自分に子供が出来た場合は、こんな非常識な大人にならないように厳しく躾ようと意識した」

というお気持ちを表明する投稿があったとする。

もちろん、常識・良識に照らし合わせたり、火災が起きた時の被害について考えれば、このお気持ち表明にはうなずけるし、ケチを付けるような点はないように思える。

しかし、2つだけケチをつける点があるとすれば「このお気持ち表明をした人は、花火をしていたカップルを見ていただけの傍観者なのでは?(=注意してやめさせられなかったのだろうか)」という点

もう1つは主語が大きくなっている点である。(花火をしていたカップル→最近の若い人たち)

一見するとまっとうなことを言ってるけど、なぜか炎上しているお気持ち表明の中には、このような点に対してツッコミが入り拡散されるという点が目立つ。

 

とはいえ、そのカップルが例えば荒っぽい男女だったのか、それとも温和そうな男女だったのかで、注意のしやすさは変わってくる。

状況だけを見ればただの傍観者が義憤に駆られているというものだが、冷静になって「注意したくてもできなかいだけの理由があったのでは?」という視点を持つことが、不要な炎上に加担しないためには欠かせない。

主語が大きくなる点も、意図的に主語を変化させているというようは、あまり考えずにとか無意識のうちにとか、”なんとなく”ということもある可能性を踏まえておくのが同様に不要な炎上に加担しないためには欠かせない。

 

敵対構造、二元論を用いている

お気持ち表明の中でも、無意識のうちに善と悪、新規参入者と既得権益、正義と巨悪のようなわかりやすい二元論を用いているものは、とくに炎上しやすい傾向がある、

わかりやすい例を言えば

  • 社畜とフリーランス
  • ファンとアンチ
  • 勝ち組と負け組
  • モテと非モテ

など、煽って閲覧数を稼ごうとする思惑が感じられるビジネス系youtuber&ブロガーがよく使うパワーワードを持ち出しているお気持ち表明が、これに当たる。

もちろん、わかりやすい二つの概念や構造を持ち出せば議論がしやすいし、外から議論を眺めている人も何かしら一言コメントをつけたくなる。

なにせ、わかりやすく議論がしやすいからこそ、普段からあまり物事を考えていない層の人でも、コメンテーターを気取ってコメントをしたり、これに乗じて(荒削りでも)お気持ち表明することも容易だ。

しかし、分かりやすいからといって建設的な議論になるとは限らないし、そもそも世の中白黒はっきりしないほうが多いために、この手の議論はバズりこそするが結論や正解が出るものとは言えない。

また、議論の過程で敵対構造を用いているため、ただの口論や暴論のぶつけ合いになり、参加者がイライラしやすい。つまり、悪い意味でヒートアップしやすくタイムラインが殺伐とする原因になるので、嫌われやすいのだと考えている。

 

もちろん、社会問題をはじめとしたデリケートな話題は、明確且つ大多数の人が納得できる正解が存在しないほうが多い。

そういった話題に関心を持つこと自体は良いことだと思うが、それをSNSのように不特定多数の人が閲覧できる環境で話せば、炎上の火種になりかねないことについては、熟知しておくことが重要だと私は感じる。